海軍道路のこと
先日、「スローなブギにしてくれ」の記事で、
横浜西部にある「海軍道路」という道路について、
「いつか記事にします。」と書いたのですが、
思いもよらず、「横浜ドリームランド」つながりで
「海軍道路のこと」を書く機会が来ました。
そもそも私のように、戦後二十年を過ぎた頃に海軍道路の近くで育った者にとって、
「海軍道路」とは、
・旧日本海軍が関係していた(←当たり前だろ!海軍道路なんだから。)
・近くにあった厚木基地に着陸できなかった航空機の非常用の滑走路に転用する
ことも考えられていたらしい(←多分4キロくらいの直線道路です)
・南門と呼ばれる石造りの門があり、そこから先は軍用地だった。
位の知識しかありませんでした。
今のようにインターネット上であらゆる情報を手に入れられる時代とは違って、
みんな、この程度の知識で満足していたものです(もちろん、今「海軍道路」と
検索すれば、正しい知識がいっぱい入手できます。
が、それは今回の趣旨ではないのでやめておきます)。
さて、前振りはこれくらいにして、海軍道路の思い出です。
私が通学していた横浜市立瀬谷中学校は、この海軍道路の南端に接しています。
中学の門を出て最初の信号から北が海軍道路でした。
授業中、誰かが何かをやらかすとブチ切れた先生は
「お前ら全員南門往復してこい!」と怒鳴り、
クラス全員を南門まで往復走らせたものです(多分片道2キロメートルくらい)。
これって、完璧に体罰ですが、当時(昭和四十年代中頃)の瀬谷中生に
そんなことを言うやつは一人もいませんでした。
生徒会長から悪ガキまで、一人も。
それは当時の瀬谷中の先生方が皆、生徒への愛情に溢れていたからだと思います。
ま、先生の話はこれくらいにしておきます。
まあ、中学校時代は、海軍道路というとそんな記憶しかないのですが、
二輪の免許を取ってからはちょっと違ってきます。
YAMAHAのGX250に乗っていたころは、長い直線で、交通量も少ないことから、
6速までシフトアップして、アクセルを閉じ、時速30キロくらいまで速度が落ちた
ところで、アクセル全開。GXがちょっと身震いしつつ、パラレルツインの快音を響かせつつ回転を上げていくのを聴くのが楽しみでした(これは、同じエンジンを積むXS250に乗っていた『月間オートバイ』詩の誌の編集部員、高橋さんという方が
「YAMAHAツインの楽しみ方」という記事で書かれていたことの真似っこでした)。
Zを手に入れてからは、ちょっと違いました。
まあ、横浜に住んでいてZに乗った期間はひと月ちょっとでしたから、
そんなに何度もこんなことをしたとはお思い下さらないよう、また、
よい子の皆さんは、決して真似をなさらないよう、重ねてお願い申し上げます。
海軍道路は長い直線道路、しかも制限速度は40㌔。両脇には桜並木
(あのころは植えられたばかりだったけど)。
レーダーが仕掛けやすい条件がそろっていました。
よく、制服姿の猫さんたちがネズミを狙って隠れていました。
Zで走っていると猫さんがネズミを狙っていることがしばしばあったのですが、
そんな時私はZをUターンさせ、レーダーを通り過ぎたところでシフトダウン、
サイン会場の真横辺りでは、時速ぬわわ㌔くらいに達したでしょうか。
「ちっ」と舌打ちをしているであろう白バイの猫さん、レーダー担当の猫さんを
横目に当時すでに型遅れだったZを、意気揚々と走らせたものです。
そんなバカなことをして猫じゃらしをしたものです。
さて、バカなことを書いていないで、次回、「横浜ドリームランドと
通信隊跡地」のお話です。