還暦過ぎの750乗り。そんなに忙しくない、趣味に溺れたい々。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛車E36M3C、愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

てっそん

漢字で書くと姪孫らしいです。別の名称では大姪らしいのですが、

ネット上の情報なのであまりあてにしないでください。

 

私が大学を卒業して就職をするまで編集のお手伝いをしていた

小学館第二編集部が編纂していた、「大辞泉」の紙バージョンには

どちらも記載がありませんでした。

 

まあ、「大辞泉」の母体になったと思われる「日本国語大辞典」には

記述があるようですし、「デジタル大辞泉」には記載があるのかも

知れませんが。

 

例によって例のごとく、それはさておき、なんです。

 

私の実弟の娘(姪)に子供が生まれ、

実弟がおじいちゃんになったというお話です。

 

必然的にわたしの実母はひいおばあちゃん、私は伯祖父という事になるらしいです。

姪孫にしろ伯祖父にしろ、どれも聞きなれない名称ですが、係累が増えると

こんな複雑な名前の親戚が増えるんですね。

 

今日はそんな話でなく、弟の話です。

 

私がオートバイの道にのめりこむことになったきっかけの一つは

この(おじいちゃんになった)弟です。

私が普通免許で従兄から貰ったスーパーカブに乗っていたころ、

弟が高校の友達からホンダのMT50(もう、誰も知らないだろうなあ)を借りて

来たのです。

私も乗せてもらいましたよ、もちろん。

ホンダの2ストはぶんぶん回りました。

調子に乗った私は信号からスタートするたびにパワーリフト(ただの阿呆です)。

そのうち弟の別の友人がYAMAHAのミニトレ80を3万円で売ってくれるという話を

聞き、二人とも(弟と私です)自動二輪の免許もないのに買ってしまったのです。

ま、ミニトレに関する話もおいといて、と(今度書きます。絶対。はい)。

 

その弟の誕生日が今日、五月五日なのです。

 

今でも覚えています。昭和三十七年五月五日の早朝のことです。

里帰り出産をしていた母の横で寝ていた私(三歳)は、何が理由だったのか

足をばたつかせていたのです。

その足が母のおなか(かなり大きかった)に当たり、言われたのです。

「生れそうだから暴れないで」と。

その後は記憶にありません。

母屋で産湯を使う弟の写真が残っているだけです。

そこから考えても私が暴れた後に弟が生まれたのは確かなのでしょう。

(当時の山梨の田舎では産婦人科なんか行きません。お産婆さんがうちに来て

くれるのです)

その弟とはたまに喧嘩しつつも、それなりに仲良くやってきました。

 

その弟が「おじいちゃん」とはねえ。

私も歳を取るわけですよ。

 

ミニトレの話は、またいつか(そのうち書きます絶対)。

 

あ、昭彦(弟です)、誕生日おめでとう!

 

 

 

昔の酒屋さんと、大学の話

私が大学五年生(←おい!)のころの話です。

同級生は皆卒業し、ただ一人(でもなかった。これがB大学のいいところ?)

学問の道を究めようと(←ウソ言ってんじゃないよ)、片足院、片足学部に

残っていたのです。

 

そんな私なので当然昼間部(一部授業ですね)、はいっぱいいっぱい。

希望していた教職免許を取るために必要な教職課程の授業は、

当然夜間部(この頃はB大学はじめ多くの大学に夜間学部が存在していました)の

授業を取ることになります。

 

夜間学部(二部です)の授業に出る生徒はみんな真面目そのもの。

仕事を終えて大学に来て授業をうけようってんだから

当然と言えば当然ですね。

 

そんな中で、私がB大学に在籍した最後の年の冬。

12月も二十日を過ぎたというのに教育心理の授業をうけに

夜七時過ぎの教室に向かったのです。

その授業を担当した先生は本当に素晴らしい先生で、

その先生の教えて下さったことは四十年過ぎても頭に残っており、

今でもその授業法を実践しております。

 

それで、ですね、その年の12月も二十日過ぎ、

夜の闇の中、二部授業に向かった私は

教室の黒板に書かれていた文字を見て何が起きたのか理解できずにおりました。

「本日の授業は●●●研究室で行うので、受講生はこの研究室に来るように」と

あるのです。

 

よく状況が理解できないまま研究室に向かうと、そこは酒宴の真っ盛り。

先生の机には「剣菱」の一升瓶と人数分の茶碗、

授業を受けている学生が顔を赤くして...

 

ちょっと遅れて、研究室に入った私に先生は開口一番、

「君、そこの酒屋まで行って剣菱もう一本買ってきてくれ給え」と

仰ったのです。

おい!授業だろう!飲み会じゃねえだろう!!

って、ごめんなさい、先生。

先生の教えはまだ私の中で生きています。

 

ま、それはさておき、先生は勿論五千円札を渡してくださいました。

その五千円札を握りしめた私は、B大学直近の酒屋さんへ。

酒屋さんの場所を把握している私も何者なんだ!という感じですが、

それもさておき、

 

私が夜の酒屋さんに向かうと、そこには

缶詰を肴にカウンターやテーブル(もちろん全部立ち飲みです)を囲む

オジサン(今の私から見れば若造)が。

こんな吞みかたもあるんだ.、と思いつつ剣菱の一升瓶を抱えて

学校に戻った私ではあります。

 

遠い昔昭和の時代、鯨の竜田揚げや

ラニュー糖の揚げパン、未だに飲めるとは思えない脱脂粉乳

給食を食べて育った昭和34年生まれの少年は、

こんなにひねた年寄りになりましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

騙された

天気予報に、です。

 

今日2021年4月25日(日)の千葉県北部の天気予報は

午前中曇り、午後から雨という事でした。

「雨が降るんじゃあ、オートバイはお預けだな。」と、

数日前から思っておりました。まあ、泣く子と天気には勝てないからなあ、

と思っていたのですが、朝目覚めるとお日様がさしているじゃないですか。

空を見ても雨が降る気配は、ない。

じゃあ、ちょっとガソリンをいれにいってこようかねえ、と

Zを引っ張り出しました。

天気はかなり雲の薄い曇り。

気温は高から低からず。

要するに、オートバイ日和です。

「ガソリン入れに行ってきます。」と家族にラインを入れ

出発。

 

で、結局まっすぐガソリンスタンドには向かわず、

ふるさと広場のチューリップと風車を眺めてガソリンスタンドへ。

チューリップは盛りを過ぎているのに、屋台はあるし人出の多いこと……

 

 

さて、土日と水曜日はTポイント3倍の日です。

この機会を逃すのは「ポイントゲッター」の異名を持つ私には許されざる行為です。

 

まあ、それはさておき、やはり昔のオートバイは、満タンにすると重心が上がります(重量にすれば約10㌔です)。ちょっとフラつつきつつ、

「そういえば弐号機を購入して最初にコケたのは満タンにした直後のガソリンスタンドだったなあ」などと思いながら向かったのは自宅ですが、

ちょっと回り道です。

 

印西の湧き水の側を通り西印旛沼(ウチからオートバイで3分。

かつ私が読者登録をしている「小売り50」さんお気に入りの場所)ほとりに新しくできた駐車場で写真を撮り帰宅いたしました。

 

kouri50.hatenablog.com

 

 

新型コロナで自粛生活を送っている間に、この近辺もずいぶん変わりました。

 

船戸大橋が完成している!

いつのまにか駐車場ができている!!

 

f:id:piroji1616:20210425215236j:plain

これでも駐車場です。

 

 

f:id:piroji1616:20210425215313j:plain

駐車場から見た西印旛沼


帰宅する前にちょろっと寄り道(こればっかりじゃん!)。

ウチの近くの洲崎砦跡の空地(今は駐車場と畑になってます)で西の空と

東の空を写真に撮って帰宅しました。

 

f:id:piroji1616:20210425215400j:plain

東の空

 

 

f:id:piroji1616:20210425215436j:plain

西の空

さて晩御飯の準備ですが、今夜は味の素の冷凍餃子。

一袋12個入✖3で36個。四人なら十分でしょう。

餃子の前の酒のつまみは、魚肉ソーセージの素揚げでした。

 

いつもながらのつまらない記事、多謝...…

にほんブログ村 バイクブログ 関東バイクライフへ
にほんブログ村 にほんブログ村 バイクブログ カワサキへ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へ

いつもの散歩道です。

ここ数日天気が良く、暖かな日が続いております。

それでも出勤するときにはスプリングコートをもっていかないと

帰宅時には佐倉方面、結構冷えます。

 

さて、今日はいつもの散歩道を走りに行ってきました。

西印旛沼から北印旛沼へ、そして宗吾様の霊廟前を通り、

今日は野暮用で佐倉郵便局に立ち寄ってチューリップ畑を横目で見て

一時停止違反を見張る白黒パンダさんを軽くあしらって帰宅しました。

 

って書いてもこれを読んでくださっているほとんどの方は

何が何だかわからないでしょう。

ごめんなさい。

 

さて、外はすっかり初夏になっていました。

印旛沼のちかくの田んぼと森の中を走っていると、

何かの花のにおい、新緑のにおい、どこかからか焚火の煙も流れてきます。

ああ、あったかいなどと呟きながら走っていると、北印旛沼です。

 

田植えが始まりました。

いつものコンビニにZを停めて京成空港線の北印旛沼跨線橋を望むと、

 

f:id:piroji1616:20210421150630j:plain

こんな感じです

 

 

f:id:piroji1616:20210421151211j:plain

今日は割とまともな写真だ

 甚兵衛渡しの近くにあるコンビニからです。

いつものように一服しつつ缶コーヒーを飲んでいると、ヴィッツに乗った

オジサンに話しかけられました。

何でも昔CB750Fourを買おうと思ったけれど、エンジンがオイル上がりをしている

みたいなので見送ったとのこと。

 

「やっぱり昔のオートバイはカッコいいねえ。」とおほめをいただき

「ありがとうございます。」と返したのは言うまでもありません。

 

それにしても私が子供のころの田植えって

梅雨時の雨に打たれながら蓑とを革笠をつけてするものだったように思いますが、

いつのまにかふた月ほど早くなっています。

気候とかコメの品種とかいろいろ理由があるのでしょう。

 

ま、それはさておき、燕たちも帰ってきました。

 

f:id:piroji1616:20210421152512j:plain

尻尾が見えますか?

このコンビニ、毎年軒先に二つ三つ燕が巣作りをするのです。

今年も帰ってきて巣も完成したようです。

 

そんなこんなで、一時間ちょっとのお散歩でしたが、

時間はお昼過ぎ。

 

家で待っているおなかをすかせた長女(コロナの影響で

当分リモート授業が続くそう)のために餌をくわえて(じゃないや)

昼ご飯をつくりに帰宅いたしました。

 

あ、ガソリンいれるの忘れた!

 

にほんブログ村 バイクブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 バイクブログ 関東バイクライフへ
にほんブログ村 にほんブログ村 バイクブログ カワサキへ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へ

あたらしい物好き

なもんで、コンビニで先行販売が始まったこんなものを買ってしまいました。

f:id:piroji1616:20210412112345j:plain

これですよこれ。

たまたまそのコンビニ(ファミマです)、こいつにピッタリそうな

クリスピーチキン(私はハバネロの辛いやつが好きです)も売っていたので、

迷わず購入。

帰宅して晩御飯前に缶をあけてみたのですが、

CMどおり!

泡が出るわでるわ。

冷やし方が足りなかったらしく、ものすごい量の泡です。

これで、缶でなくガラスの容器だったら、本当にお店の生ビールと

同じです。

 

さて、昨日久しぶりにオートバイに乗りました。

ふるさと広場でチューリップと一緒に写真でも撮ろうかと思ったら...

とんでもない渋滞。

いつもなら数分で駆け抜けられる京成線沿いの道から、ふるさと広場の駐車場に

向かう車の列が…

この駐車場、公営で一日千円なり。佐倉市にしてみればいい稼ぎ手です。

じつは、橋を渡った向こうには私設駐車場、一日五百円があるのですが、

そんなことを知っているのは地元に住んでいて、平日の空いている時にこのあたりを

うろうろしている不審な年寄りだけ。

皆さん、佐倉市の財政に貢献してくださいます。
 

あ、オートバイもたくさん走っていました。

しかし私は密を避け、ふるさと広場はスルーしました。

いつもの北印旛沼に走り、方向転換して八千代市へ。

ユリノキ通りという名にそぐわず、つつじがきれいな通りです。

ただ、ちょっと時期が早すぎたのか、まだ、満開とはいきませんでした。

 

おまけに写真は逆光、フレーム切れというドヘタ全開。その写真がこちら。

 

f:id:piroji1616:20210412202050j:plain

 

 

f:id:piroji1616:20210412201139j:plain


満開になったらリベンジいたします。

 

しかし、細いリヤタイアだなあ。

 

にほんブログ村 バイクブログ 関東バイクライフへ
にほんブログ村 にほんブログ村 バイクブログ カワサキへ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へ

おめでとうございます。

誰って、池江選手です。

 

あの病気にり患したと聞いた時、

不謹慎かもしれませんが、命があればいい、と思ったのは事実です。

 

まさかあそこまで復活なさるなんて、思いもよりませんでした。

池江選手には失礼なことは重々承知の上です。

 

ですが、いまから三十年ほど昔、

同じ病気にり患した、担任していた生徒を見送った私としては

奇跡(じゃないな)と池江選手の努力精神力に対して

「おめでとうございます」としか言葉は出ません。

 

本当に凡人には想像もつかない精神力と努力のたまものなんだろうなあ、

という事だけは確かなのでしょう。

たぶん幻になってしまうであろう2011年の五輪代表選手選出

本当におめでとうございます。

その努力を五輪開催に無理やり結びつけようという

不純な人たちがいることは、本当に悲しく情けないことです。

 

彼女(池江選手)の頭にはきっと東京五輪」なんて

これっぽちもなかった。

復活して水泳に全力を注ぎたい。

それだけだったと思うのは私だけでしょうか。

 

焼き直し記事(もう何弾か忘れてしまった)

私、今は千葉に住んでいますが、25歳まで横浜に住んでいました。

出身高校は横浜市立桜丘高校といいます。

 

この高校、のんびりした校風が特徴だったのですが、もう一つ、特徴がありました。

当時、神奈川県の夏の高校野球の決勝戦は、県立保土ヶ球場で行われていたのですが、

私の母校、市立桜丘高校(ああ、めんどくさい。ごめんさい。以下桜高)は、

その保土ヶ谷球場の直近の公立高校だったのです。

私が知ったのは、入学後でしたが、同級、あるいは一つ二つ下の女子には

意外と知られていたようです(あくまでも同級のオバカ男子の間での噂です)。

特徴というのは、その保土ヶ谷球場高校野球の試合が行われるときには、

我が桜高の生徒がスコアボード係やウグイス譲を務めるということです。

これは、当時の県高野連の偉いさんであったT先生が

桜高の国語科の先生だったことも関係があると思います(就職して十年近く経って、

千葉県でこの先生の名前を聞くことになるのですが、それはまた、別の話)。

実際、私たちにも、高校一年生の時、T先生から

「夏休みにアルバイトしない?保土ヶ谷球場のスコアボード係なんだけど」

というお声が掛かりました。

男子はスコアボード、では、女子は?

 

はい。ウグイス譲ですね。

 

さて、当時私の同学年の高校生には、日本中で有名な三人の人物がいました。

一人は三浦(山口)百恵さん。

二人目は原辰徳さん。

三人目は、山田詠美(この時は存在も知らなかったしただの無名の高校生でした)。

 

百恵さんや山田詠美(なぜ呼び捨て?それはまたいつか。)は別の話として、

原辰徳さん(現巨人軍監督)は、東海大相模高校出身ですよね。

私が高校時代神奈川県では、東海大相模が圧倒的な強さを誇っていました。

そしてその中で人気を博していたのは、原辰徳さんです。

その原辰徳さんの名前を、球場で呼ぶことができるのが、

我が桜高の女子生徒の(中の何人かの)特権だったのです。

 

とにかく、日ごろは閑散としている保土ヶ谷球場ですが、

東海大相模の試合があるときは、女子高校生が駐車場までいっぱいになるほど。

それで、原辰徳さんが在学中には、我が桜高には女子の受験者が増加した、

という、これはまあオバカ男子生徒の間のただの噂ですけど。

インターネットもない時代に、どうしてそんなことを女子中学生や女子高校生が知っていたのだろう。

落ち着いて考えてみれば、本当にただの噂だったのかもしれません。

 

よし、今度の同窓会(八年後に開催予定らしい)で、女子に聞いてみよう。

 

あ、原辰徳さんが甲子園に出場した時、NHKのアナウンサーが

学校名を「とうかいおおずもう」と間違えて読んだ、というのも

遠い昔の噂話です。あしからず。