還暦過ぎの750乗り。そんなに忙しくない、趣味に溺れたい々。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

昔々その昔、椎の木林のすぐそばに

という出だしの歌、小学校の時昼の給食の時間に

よく流れていた記憶があります(昭和四十年代のことです)。

まあ、この唱歌って、杉の木を植えなさいってことですよね。

広葉樹よりなにより、成長の早い針葉樹を植えなさい、ってことだと思うのは

私だけでしょうか。

 

私的な歴史観として、戦争が終わった昭和二十年から四十年代って

まだ、戦後の復興期だったと思うのです。

その復興のために、木が必要だった時代のことです。

 

当時私が住んでいたのは横浜市の西のはずれでしたが、

一応横浜市です。

なのに、中学校に入学する昭和五十年ころまで、駅や小学校に行くのに、

雨の日には長靴が必須でした(市道が舗装されていなかったという事です)。

小学生は長靴必須、中学生になるとちょっと洒落っ気が出て「レインブーツ」

なるものが必須だった昭和四十年代のお話です。

道路だけでなく、小学校では二部授業が行われていました。

午前中は低学年、午後は高学年と、一つの教室を二つのクラスが使う、という、

戦後の教室不足に対応するための、苦肉の策だったと思います。

 

さて、やっと本題です。

前述の通り当時はまだ林業が盛んで、森または山の広葉樹を切って杉とかヒノキを

植えていた時代だったと思います。まさに、戦後の植林政策真っ盛りの頃です。

私は小学校の夏休みごとに、両親の実家である山梨県でその大半を過ごしていたことは

以前記事にしました。

 

そんな山梨県での夏休み(以下は春休みの記憶かもしれません)のことです。

伯父一家(まだ祖父母も健在でした)総出で、植林に行った記憶があります。

 

山梨の母の実家(私も弟もここで生まれました)での夏休みの記憶。

一日の始まりは朝七時ころ、村の衆数名が伯父の家の堀ごたつに集まって

掌に乗せた白砂糖一つまみと甲州梅(カリカリの、小さいやつです)を

舐めながらお茶を飲み、世間話をしているところから始まります。

 

まだ覚えている、その中の一人(とっくに亡くなってます)のことば。

「おらあ、せんころ…」(東京弁訳。「私は先日…)で始まるたあいもない話。

以下は覚えてないのですが、そんな愚にもつかない話をしてはお茶を飲み、

梅干しと砂糖をなめていたあの人たちは、実は夜明けとともに畑仕事を終えて

私の実家に集まり一休みしていたのだろうと気づいたのはこの数年のことです。

 

お茶を飲んで一服し、朝ご飯を食べたら向かうのは山です。

祖父が持っていた山(というか森)は幅30メートルくらい、長さ50メートル位の

小さなものでした。

 

でも、小さいとはいえそこに生えていた木を切り、杉を植えるのは結構な手間が

かかります。

祖父や伯父が木を切り倒し、そこに新しい杉だかヒノキだかの苗を植える、という事を

一日続けるのですが、私たち子どもが楽しみにしていたのは何と言っても視界の開けた森で食べるお昼ご飯でした。

 

沢で汲んだ水でお湯を沸かし、お茶を飲みながら白いご飯のおにぎりと

きゅうりのQちゃんだけのお昼ご飯です。

当時はアウトドアなんて言う言葉はなく、野良仕事の合間に森でおにぎりを食べた、

というだけのことですが、その当時の記憶が、キャンプ好きなDNAとして

組み込まれたのかもしれません(ああ、何年もキャンプしてないなあ)。

 

何十年も昔に私が植えた杉の木(ヒノキかも)の花粉が、ただいま現在、

私も含めた多くの皆さんの春先の悩みになっているのかもしれない、

と思うと、本当に申し訳なく思います。

 

さて高校受験の次女、大学受験の長女とも、希望する進学先が決まったようで、

オートバイ断ちもそろそろ解除していいかな、と考えている年寄りの、

いつもの(愚にもつかない)思い出話でございました。