バーチャル帰省
さて、何気なくつけたテレビ番組の中で
私の実家がある瀬谷が映っており、
御年80歳になられる紺野さんとおっしゃる方が
瀬谷から静岡まで遠距離通勤をしている。
しかもその紺野さんが駅からご自宅へ向かう道は、
私が小学校から大学まで使っていた道だ、という所までが前回の記事でした
(念のため書き加えておきます。この坂を上らないと、瀬谷小学校、瀬谷中学校、
そして瀬谷駅まではたどり着けない、かなり急な心臓破りの坂道なのです)。
「この町は坂が多く、上り下りが多い」というナレーションが入りましたが、
この心臓破りの坂を下りて再び上るのは、私の実家のある相沢地区方面へ向かう
坂道しかありません。
「ますます近いじゃん」と思いながら見ていると、場面は相沢さんのご自宅へ。
周りは暗く、どこなのかはわかりません。
相沢さんを迎えた奥さんが握り寿司(このお寿司がカギ!)
を出し、紺野さんはまたもビールを召し上がりながら
二人で夕食を召し上がっていらっしゃいます。
さて、場面は変わり翌朝です。
紺野さんへのインタビューが明るい光の下紺野さんのお宅の前で繰り広げられて
おりました。
その向こうに見えるのは、時代遅れの南欧風の青い瓦と白い壁、アルミの雨戸、
そして、なにも止まっていないガレージ...…
「あれ、ウチじゃん!」
そうです。紺野さんのお宅は私の実家と、市道を挟んだお向かいさんだったのです。
このZ750FOUR初号機のタンクのKAWASAKIという文字が正面に見える方向から
テレビのカメラが紺野さんのインタビューをしていたのです。
この写真にはガレージに昭和53年式いすゞジェミニ1600LSセダンがとまっていますが、
今は弟も二俣川に住み、私も千葉県人。
当然ガレージには基本的に何も停まっていません。
三十数年前に横浜を離れた私は、当然紺野さんを存じ上げません。
その当時は紺野さんのお宅にはKawasakiZ400Ltdに乗る若者とそのご家族が
住んでいました。
慌てて実家に電話をしたのは、この番組が次のコーナーに移ってからでした。
要領を得ない母親(多少ぼけています)に一から説明をして、理解させるのに数分。
そして、その後母親(というより老母。確か次の四月で90歳。)から、
紺野さんのお話をいろいろ聞きました。
そして、紺野さんご夫妻が召し上がっていたお寿司は、ロケ隊のために
紺野さんの奥さんが出前を頼んだもの、
十人分頼んだら余ったので、ウチの老母がおすそ分けをいただいたこと、
紺野さんのご主人は本当にお酒が好きで、
などという話を聞き、電話を切ったものでした。
そんなこんなで、期せずしてテレビ朝日の画面上で
バーチャル帰省をすることができ、ちょっと嬉しかった
私です。
つまらねえはなしだなあ、という感想は私も一緒でございます。
でも、読んでくださった皆さん、
今年もよろしくお願いいたします。