還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

ナナハンへの道(壱 限定解除のこと)

(焼き直しなんですが)

 

限定解除」ってなんだよ?

最近免許を取得したオートバイ乗りの方は仰るでしょう。

 

エンジン付きの二輪の乗り物は「オートバイ」とか「バイク」と呼ばれていますね。

 

国語辞書の編集作業を手伝っていたころは、大学の先輩や後輩、

(恐れ多くも)大学の先生方と「オートバイ」と「バイク」という呼称について

無駄話をしていたことを思い出しますが、それはまた、別の話として

いつか記したいと思います。

 

さて、すごくざっくりいうと、

昭和五十年代初頭(私がオートバイに乗り始めたころ)は、

オートバイ(バイクも含めて、発動機付きの二輪車)の免許は

四種類に分かれていました。

 

排気量50CC以下の原動機付自転車免許と、

排気量125CC以下の小型自動二輪免許、

同じく400以下の中型自動二輪免許、

401CC以上上限のない自動二輪免許、です。

(ちょっと、「以下」と「未満」があやふやですが、ご勘弁を)

道交法とか道路運送車両法とかで、この分類や名称には微妙なずれが

あるらしいのですが、それはさておき。

 

実際にオートバイを運転するために必要な免許、というものは

以上四つに分類されていたのです。

 

私が高校二年の10月1日、それまでは250CCのオートバイを使って

免許試験が行われていた「自動二輪」の免許が、

125CC以下の小型二輪免許

400CC以下の中型二輪免許

401CC以上の大型二輪(とは当時言わなかったなあ)免許

に分かれ、上記のようになったらしいのです。

 

まあ、いろいろな社会問題に、世論や政治家官僚たちの思惑が絡み、

401CC以上の大型オートバイには、これ以上誰も乗せまい、

とする免許制度が生まれた、ということなのでした。

 

中型免許までは、生活に必要なものなので、自動車学校で免許を取ってもいいよ

でも、401CC以上のオートバイは理論上必要ないでしょう

(126CCから高速道路だって使えるんだし)。

だからどうしても401CC以上のオートバイに乗りたいなら、

公安委員会の管轄の試験場で、現地試験に合格しなさいよ

それだけの技術とマナーがあるなら免許をあげてもよくってよ、

って感じですかね(私の想像したお上の言い分)。

 

この、400CCまでの中型自動二輪免許の「条件欄」にある

自動二輪は中型に限る」という記載をなくすこと、

つまり「限定を解除すること」が私の言う「限定解除」なのです。

 

限定解除」には「AT免許」を「MT免許」へ、とか

「眼鏡等」を眼鏡なしになんてのも含まれるのですが、

昭和30年代後半以降生まれのオートバイ乗りなら、

401CC以上のオートバイに乗るためのあの「悪魔の試験」を

思い出すでしょう。

 

続きます

オートバイ原体験(その弐)

小学校の頃のKAWASAKI Wにまたがらせてもらたのが

私のオートバイ原体験(その壱)とすれば、

初めて自分で動かした原体験(その弐)は、母の実家であり、

私と母、弟の生家でもある、山梨県の小さな村の農道で

Hondaスーパーカブ50を、免許なしで操縦したことでしょう。

小さな村です。

 

祖父が持っていた山に行くには、車で十分。

誰にも会いません。車にもすれ違わないようなとんでもない田舎でした。

その村でいとこが所有していたカブにまたがって操縦したのは高校一年生の時。

その年、自動の二輪の免許制度に大型限定というのができると聞いた

オートバイ好きたちは皆、試験場に殺到しました。

 

私は、といえば、カブを少し動かしたからと言って

自分が大型二輪に乗れるなどと思ってもいなかったし、乗ろうとも思わなかったので

全く無反応でした(同級生の中にはナナハンで通学しているヤツもいましたが)。

 

高校二年生の時には悪友が友達から借りてきた(車種は覚えていません。ミッション付きの)YAMAHAの原付を運転したこともあります。

それでも、自分がオートバイに乗ろうとは思いませんでした。

 

が、大学に入り、当時の愛車、いすゞジェミニ1600LSで北海道をうろうろしていた時、

とあることからオートバイに乗りたい、という気持ちが起こったのです。

 

この辺からオートバイ熱が高まってきました。

 

この記事をご参考に。

 

piroji1616.hatenablog.com

 

こんなことがあって…

 

ピースサインのこと①

 

私が読者になっている

mokatrip.hatenablog.com

さんの記事に「ツーリング中のピースサイン

(今はYAEH!というらしいですが)についての

お話があったので、思い出すことなどを徒然に。

 

私が初めてピースサインを出し、また、もらったのは

もう四十年近く昔。北海道でのことでした。

その当時はまだ中型免許も所有しておらず、

普通四輪免許で、従兄からもらったスーパーカブ

乗っておりました。それほど二輪にのめりこむわけでもなく、

本当にアシとしてバイクに乗っていたのです。

そんな私が、21歳の時、夏の北海道を車で旅した時のこと、

キャンプ道具など一切なく、車のリアシートに毛布を積み、

食事は外食、夜になったら適当な場所に車を止めてリアシートで

毛布にくるまって寝る、といういい加減な旅でした。

ちなみに、車は昭和53年式いすゞジェミニ1600LSセダンでした。

この記事に鼻先が写っている、こいつです。

blog.hatena.ne.jp

 

オホーツク海を見て、宗谷岬まで行く、

というだけの大雑把な計画で北へ向かったのですが、

これ以上この話を続けるときりがないので、

本題に入りましょう。

北海道で感動したのは、雄大な自然、おいしい食べ物、

そしてオートバイ乗りたちが交わすピースサインでした。

で、それが羨ましくなった私は、車の運転席から、

行き交うオートバイ乗りたちにピースサインを出してみたのです。

すると、皆、ピースサインを返してくれるじゃないですか。

多分、「変な奴!」と思われていたでしょうけどね(苦笑) 。

嬉しかったし、自分もオートバイ乗りになってピースサインをしたい、

と思うようになったのです。

 

また、北海道をのんびり走っていて、

後ろから来たオートバイたちに追いつかれた際、

左ウインカーを出して左により、お先にどうぞをすると、

どのオートバイも左手を軽く上げて抜いていくのです。

左手一つでお互いの意思が疎通できる、なんて素晴らしいんだ。

 

そんなことがあって、二輪の旅に憧れ、最終的には限定解除を果たし

750に乗るようになった訳です。

ピースサインこそ、私を二輪車とツーリングに引き込んだ

最大の原因だったのです(病膏肓に入り、還暦を過ぎても
この熱は冷めてません)。

                     続きます。

 

 

 

 

 

オートバイ原体験(その壱)

皆さん、最初に乗られたオートバイって、何だったんでしょう?

 

私はKAWASAKIの650cc、ツインのエンジンを積んだ

オートバイでした(今となってはもう正確な車種はわかりません。

ただ、小学生だった私には、

 

大きな音を出す大きなオートバイ

 

という記憶しかないのです。それがKAWASAKIのWだったとわかるのは、

そのあと数十年の時間が補正した記憶かもしれません)。

 

いずれにしろ、その大きなオートバイに乗る隣のおじさんは、

小学校四年生の時、私が初めて買ってもらった24インチの自転車を、

リアシートに括り付けて運んでくれたのです。

そんなに大きなシートだったんだなあ、と今は思います。

さて、「隣のおじさん」と言いました。

 

確かに間に住宅がない、という意味では隣です。

でも、そのおじさんの家と私の家との間には100坪になろうかという

空き地があったのです。

 

小学生だった私は、一度だけその大きなオートバイに乗せてもらった事があります。

おじさんの前、タンクとシートのはざまににまたがって、件の空き地を

一周したのです。

感触も何も覚えておりません。

ただ、自分の足で漕がずに進み、自分の足で漕ぐより数十倍も速いこの乗り物に

漠然とした憧れを抱いたことは覚えています。

 

そのおじさんが他界されて30年以上たった今、こんなことをふと思い出すのです。

 

そういえば、そのころ(30数年前)すでにレアになっていたWを、

おじさんのお通夜で千葉から横浜に向かう途中、野毛の坂道で見かけたのです。

あれは、おじさんがWに姿を変えて会いに来てくれたのかもしれない…などと

ありえないことを考えるなんて、阿呆ですね。

 

ところで、初めて自分で操縦したオートバイは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お誕生日おめでとうございます、

岩崎宏美様。

何十年前でしょう、「天まで届け」というコピーで
貴女がデビューしたのは。

当時の同年代の女性歌手とは比較にならない歌唱力、
本当に天まで届きそうな艶のある透き通った声、
サラサラのおかっぱヘア、

すべてが

貴女の同学年で、3か月年下の私の憧れでした。

高校三年生の時、
「思秋期」のバックのバイオリン弾きの公募に応募しようと思ったこと。
大学一年の時、B大マンドリンクラブのコンサートに貴女がゲストとして出演、
そのコンサートのスタッフとして参加し、目の当たりに貴女を拝見し、
一言だけ言葉を交わしたこと。

何もかも、誰も知らない思い出として、あと数十年で消えていくのでしょう。

まとまりはつかないですが、まだ、貴女の昔の曲を聴いている
ファンもいる、と知っていただければ幸甚です。

ますますのご健勝とご活躍をお祈りしております。

 

トンカツはお好きですか?

私は好きです。

若いころは週に一度は仕事帰りに週に一度、

京成線、実籾駅近くにある「かつ八」さんというお店で、

瓶ビール一本、とおろしロースかつ定食かおろしひれ定食を頂くのが

週末の楽しみでございました。

すっかり足が遠のいているうちに、ご夫婦で営まれていた「かつ八」さんが

閉店して何年でしょうか。

いまだに「かつ八」さん以上のとんかつには出会えておりません。

 

とまあ、これは枕でございまして、昨日娘たちがこんな話をしていたのです。

「人間って俺ら(豚になりきって話している)のこと、食べるんだぜ。」

「ひどいよな。こうやっておいしいものを食べさせて太らせて、

 それで殺してたべるなんてさあ(同じく豚になった気分)。」

こんな(阿呆な)会話を聞いて、遠い昔のことを思い出したのです。

もう、五十年ちかく昔のことです(五十年以上かもしれない)。

 

私の母方のおばあちゃん(祖母ではなくおばあちゃん)は、豚を飼っていました。

それほど広くない(といっても田舎のこと。小学生だった私が

マニュアルの軽トラの運転を覚えるには十分な広さがありましたが←こらこらこら!)

庭には納屋があり、その片隅に豚小屋があったのです。

私も餌をあげに行ったことがあります。

餌といっても農協の配合飼料に人間の残飯(というより、食べられないブドウの実の茎、スイカの皮などを混ぜたもの)を与えていただけですが。

 

豚の成長は早く、かわいい子ブタだったものが次の年には大きな成豚

(という言葉があるかは知りません)になっていました。

まあ、いずれにしろある程度の大きさになると豚たちを出荷します。

 

おじさんたちが豚を棒でたたいてトラックの荷台に乗せようとするのですが、

豚も何かわかるのでしょう。必死で嫌がります。

乗せようとする人間と乗るまいとする豚たち。

争いは数十分で終わり、豚たちは運ばれて行きます。

 

そんなことがあってからも、私は普通に豚肉を食べてきましたし、

今もとんかつは大好きです。

 

それでも、あの時出荷されていった豚たちの姿と必死の叫び声は

五十年たっても忘れられません。

 

動物も植物も、命あるものを食べなければ生きていけない人間というものは

罪の深い存在なのでしょうが、それ(人間という存在)は否定できません。

これを仏教では業というらしいのですが(@京極万太郎©美味しんぼ)、

 

そんな、いろいろなことを思い出させてくれた子供たちとの夕食でした。

 

 

 

代り映えのしない日々の中でも

たまには面白いことがあります。

 

私が住んでいる場所は、駅から徒歩40分。

中世の城跡横を抜けたり、森や畑の中を抜けたりと、

大変に寂しい場所にあります。

 

もちろん総戸数800戸に喃々とする小さいながらも立派な街です。

が、この街も高齢化に伴い、魚屋さん、肉屋さん、スーパーらしきお店、

薬局、クリーニング屋さんと、次々にお店を閉め、

寂れる一方なのですが、

まあ、わが町のことは置いておきましょう。

 

長女はこの春から某大学に籍を置き、大学の交響楽団にも籍を置いております。

中学から吹奏楽部にいたのですが、大学入学を機に弦も加わった交響楽団

入ることに決めたようです。

 

もともと弦楽器が好きであった私からすれば、大変にうれしいことですが、

実はこの十一月二十日ころ、第一回の演奏会があるそうで、

最近、夜遅く(といっても20時くらいまでですが)まで練習があり、

長女が最寄りの京成臼井駅に着くのは24時少し前、ということも

しばしばあるようになりました。

路線バスはとっくにございません。

歩いて帰るのは危険すぎます。

必然的に車で迎えに行くことになります。

 

で、一昨日、私は長女を迎えに23時40分頃、駅に向かって

国道296号を走っておりました。

その時、右側車線の歩道を人が歩いているのです。

しかもリードをつけていない犬を連れて。

 

「あぶねえなあ。リードいくらいつけておけよ」と思ってその犬を見ると、

「あれ。犬じゃないよ。タヌキじゃん!」

 

そうです。

国道をタヌキが歩いているのです。

農道でイノシシを見たことや、公園でタヌキを見たことはありますが、

仮にも国道でタヌキに遭遇するとは。

 

代り映えのしない日々でも、ちょっとおもしろいことも、

たまにはあります。