還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

トンカツはお好きですか?

私は好きです。

若いころは週に一度は仕事帰りに週に一度、

京成線、実籾駅近くにある「かつ八」さんというお店で、

瓶ビール一本、とおろしロースかつ定食かおろしひれ定食を頂くのが

週末の楽しみでございました。

すっかり足が遠のいているうちに、ご夫婦で営まれていた「かつ八」さんが

閉店して何年でしょうか。

いまだに「かつ八」さん以上のとんかつには出会えておりません。

 

とまあ、これは枕でございまして、昨日娘たちがこんな話をしていたのです。

「人間って俺ら(豚になりきって話している)のこと、食べるんだぜ。」

「ひどいよな。こうやっておいしいものを食べさせて太らせて、

 それで殺してたべるなんてさあ(同じく豚になった気分)。」

こんな(阿呆な)会話を聞いて、遠い昔のことを思い出したのです。

もう、五十年ちかく昔のことです(五十年以上かもしれない)。

 

私の母方のおばあちゃん(祖母ではなくおばあちゃん)は、豚を飼っていました。

それほど広くない(といっても田舎のこと。小学生だった私が

マニュアルの軽トラの運転を覚えるには十分な広さがありましたが←こらこらこら!)

庭には納屋があり、その片隅に豚小屋があったのです。

私も餌をあげに行ったことがあります。

餌といっても農協の配合飼料に人間の残飯(というより、食べられないブドウの実の茎、スイカの皮などを混ぜたもの)を与えていただけですが。

 

豚の成長は早く、かわいい子ブタだったものが次の年には大きな成豚

(という言葉があるかは知りません)になっていました。

まあ、いずれにしろある程度の大きさになると豚たちを出荷します。

 

おじさんたちが豚を棒でたたいてトラックの荷台に乗せようとするのですが、

豚も何かわかるのでしょう。必死で嫌がります。

乗せようとする人間と乗るまいとする豚たち。

争いは数十分で終わり、豚たちは運ばれて行きます。

 

そんなことがあってからも、私は普通に豚肉を食べてきましたし、

今もとんかつは大好きです。

 

それでも、あの時出荷されていった豚たちの姿と必死の叫び声は

五十年たっても忘れられません。

 

動物も植物も、命あるものを食べなければ生きていけない人間というものは

罪の深い存在なのでしょうが、それ(人間という存在)は否定できません。

これを仏教では業というらしいのですが(@京極万太郎©美味しんぼ)、

 

そんな、いろいろなことを思い出させてくれた子供たちとの夕食でした。