還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

またきたよ、焼き直しの記事(と少しあきれている皆さんの顔が思い浮かぶ)が。

また焼き直しなんですけど、一応手は加えていますので、悪しからず。

 

そろそろハロウィンらしいですね。

 

といっても、私にはいまだにハロウィンが何なのか、よくわかっていません。

多くの大人(ってか老人?)も同じだと思います。

 

ハロウィンという言葉を初めて目にしたのは、

中学校二年生(多分昭和47年)の英語の教科書。

 

英語の教科書って、下段に新出単語とか英米の風俗とか、

私たち日本人にはわからないことを解説してくれているんです。

 

そこに、ハロウィンについて以下のような記載があったのです。

万聖節のよい祭り」と(四十八年前のことですが、はっきり覚えています)。

 

でも、これじゃ何が何だかわかりませんよねえ。

多分「よい」というのは、「宵」だと思うのですが、その当時は

「良い」だと思っていました。

 

結局、全然わからないまま、時は(四十八年の)時を超え、

現在、ハロウィンは、変な仮装をした若者(バカ者?)が街を練り歩く祭り、

に成り下がっています。

 

昭和四十年代の英語教科書の実力(つまりその当時の大人たちの知識量・質)が、

こんなものだったのだろうなあと思うしかないのでしょう。

いえ、教えていてくれた(昭和40年代の横浜市立瀬谷中学校に所属していた)

先生方は、本当に生徒想いの良い先生ばっかりでした。

その先生方の知識の量、質を云々ではなく、時代の違いを実感している、

ということなのです。

 

何はともあれ、ハロウィンを楽しむ若者たちが、他人に迷惑をかけないように、

感染症をぶり返さないように、と祈っています。

かわりばえのしない日々のこと

この日(一昨日10月22日)は真冬の寒さといわれるほど寒い一日でした。

私はといえば、私用で(まあ、公用なんてございませんが)京成佐倉駅前の

三井住友銀行まで妻と一緒に車で行き、そこから特急で京成津田沼へ。

さらに京成千葉線京成千葉へ。

そこ(千葉)で本日のお勤めだったのですが、

京成臼井は通過する、特急からの印旛沼やチューリップ広場の眺めは

旅行者のそれだったと申し上げておきましょう。

 

ま、それはさておき、

京成千葉からJR千葉駅へ向かう横断歩道の手前で

(私が勤めているのは京成千葉駅からJR千葉駅の北口を向こうに渡った予備校)、

何やら人の流れが滞る一角があるのです。

何だろうと近寄ってみると、エナジードリンクモンスターの、何やらのキャンペーンで

無料サンプル(といっても355㎖入り)を配っているじゃありませんか。

 

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モンスター

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これをね

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配ってたんですよ。

当然いただきました。その時、配っていた女性と一言二言。

「これ、いただけるんですか?」

「はい。ただいまモンスターと○○のコラボを実施しておりまして、

その××でお配りしております。」

(→正直、何をおっしゃっていたのかほとんど覚えておりません。

 ごめんなさい)

という話をした後、件の女性が私のネクタイに目をつけて

 

(これが私の今日のその日ののネクタイ。青いほうです)

 

「オートバイ、お好きなんですか?

このモンスターはレーサーのロッシと△▽▼▲なんです。

スピードを上げたいときには一本飲んで行ってください。」

ということを(これもよく覚えていないんです。重ね重ねごめんなさい)

おっしゃっていたのですが、私にとってのオートバイとは

スピードを出すためのものではないのです。

件の女性に「ありがとうございます」といってモンスターを受け取った後、

ふと思ったのです。

 

私にとってのオートバイって何なんだろう?

 

もちろん好きです。

 

レースも、見ている分には楽しめることもあります。

じゃあ、スピードは?……

 

私の愛機(オートバイ)は、

新車で発売された当時(たしか昭和50年代)は国内最大排気量、最速を誇っていた

(らしい)KAWASAKI Z750FOURです。

今でも出す気になれば180㌔/hくらいは出るのでしょう。

 

が、そんな気には全くなれません。なりません。

なろうとも思いません(事故も怖いし、桜田さんも怖い)。

高速道でも80キロくらいしか出しません。

若いころはZ750FOUR初号機で

「ローで100まで駆け昇る!」などと嘯いて、高速の侵入路で

1速のまま100キロまでスピードを出してそのままシフトアップ

続けるなんていう馬鹿なこともしましたが、

この前試そうとして、オートバイから落ちそうになりました

 (年配の皆さん、気をつけましょう。体力も気力も知力も視力も、

  四十年前とは比べ物にならないほど衰えております)。

 

スピードは座って運転できる四輪で満喫しました。

今でこそ言えるのですが、M3初号機では、東関道で

200キロ/hオーバーを出したこともあります。

周りの車はみんな高速上で止まっているように見えました。

 

通勤ルートの農道(人が歩いているのは二十年来見たことなし。

イノシシは一度見ましたがw)では、

クルマの侵入を制限する、出入り口のガードレール間、

ゴルフやポロなら3分半かかるこの道のりを3分を切ることを目標に

ぶち飛ばしておりました(まあ、出勤時は遅刻しないためでしたが)。

 

ごめんなさい。四輪の話ではなく、オートバイの話でしたね。

 

いま、自分に750CCの排気量のオートバイが必要かと言われれば、

答えはNoです。

Zに乗っていても、一般道ではだいたい50キロ/H。

高速でも80キロ/h。

しかも750CCという排気量には何の意味もありません。

 

昭和の時代に国内販売が許されていた最大排気量である、というだけのことです。

今は900や1000、1300、1500CCの排気量を持つオートバイが

普通に国内販売されており、750CCなんて、ただの半端な存在です。

 

だったら高速道に乗れる最小排気量126CCでも問題はないはずです

(まあ、さすがに他人様の迷惑になる126CCで高速を走ろうとは思いませんが)。

 

じゃあ、なんでお前は時代遅れの重くて鈍重なZ2に乗っているんだ!?

 

と言われれば、答えは?

ただ、こいつが好きだから。というだけです。

 

結局、私にとってのオートバイとは、見知らぬ場所へ私を運んでくれる

鉄の馬。

何キロ走っても燃料がなくならない限り走り続けてくれる、

頼もしい相棒、なんですよね。

 

そのうち、昔のアルバムを引っ張り出して

お話したいと思います。

 

それまで、皆様ごきげんよう

 

 

あ、代り映えのしない私に代わり映えが起きそうな気配が……

 

.

 

 

 

 

 

 

前々回の続きです。

前々回って?

 

ほら、あれですよ。車を買っちゃったっていうお話。

 

piroji1616.hatenablog.com

 

何を買ったのか、ひそかに気にしていたあなた、

これですよ。

まずヒントからです。

 

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ヒント 1

 

ボディーカラーはシルバー。軽自動車のナンバーを使ったキーホルダーですね。

このキーホルダーの形は最新型のものですが、私が買ったのはもっとずっと古い

中古車です。

 

パワーウインドウはついていません

(うちの子供たちは、最初ウインドウが開けられなかった)。

集中ドアロック?ありません(駐車のたびにすべてのドアのロックを確認して

車外を一周しております)。

さすがにエアコンはついていますから、とりあえず、純粋にアシとして使うには

文句ありません。

 

……と、あまり引っ張っても仕方がないので。

 

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これです。

平成十年式、ジムニーJB23Ⅰ型です。

 

とまあ、今の家に住んでいる限り

クルマは必要不可欠ですなので、必要に迫られての購入です。

 

我が家の最後の車となるであろう、このジムニーについては

また記事にしていきたいと思います。

また焼き直しかよ!

例のごとく加筆訂正してありますが、焼き直しなことは確かでございます。

重ね重ね申し訳ございません。

 

以下焼き直しです。

 

先日(10月10日)、我が地自治会では赤い羽根の集金がありますした。

 

赤い羽根って、善意によるものですよねえ。

それを各家庭最低500円と指定されて集金するというのも変な話ですが、

我が自治会の話はまあ置いておきましょう。

私が高校時代(もう40年以上昔だよォ)からずっと不思議に思っていることが

あります。

 

本来、国民の幸福のために(本当は不幸を一つ一つつぶすために)あるのが

政治であり、それを生業にするのが政治家だと思うわけです。

私たち庶民は、数百万円の年収の中からあの赤い羽根のためにお金を出している

わけです。

赤い羽根は政治の網目からこぼれた人を、我々政に関わらない庶民が互助の精神で

救うためにあるものだと思うのですが、なんでそれ(赤い羽根)を政治家の

偉い先生方がつけているのか?

あ、もしかしたら互助の大切さを教えてくださるためにあえて赤い羽根をつけて

いらっしゃるのか。

我々えらい国会議員も募金をしているんだ、お前たち庶民もせっせと募金をして

お互いに助け合い、政治に頼るな!と、身をもって教えてくださっているのか。

うがった言い方だとは思います。

でも自助、共助、公助の順番で大切だなどしたり顔でいう、庶民派面した

お金持ちの国会議員にそう言われると、こんなへそ曲がりの考えが浮かんできます。

 

まあ、それは私の私見ということで、政治家の偉い先生方は、「自分は困っている人のために募金をしているんだ」というパフォーマンスだけのために赤い羽根をつけているのではないかと思います。

 

まあ、政治家(特に国会議員の偉あい先生方)が、どれだけたくさんのお給金を

血税から給料として受け取り、どれだけ高額のお金(我々のように数百円ってこたあ

ねえでしょう。)を寄付してあの羽をつけていらっしゃるのか、

私は寡聞にして存じ上げませんが、政治家の先生方がすべきことは

毎年10月に幾何かの寄付をなさって赤い羽根をつけることではなく、

庶民が募金で助け合わなくてもすむ世の中をつくることではないのでしょうか。

 

 私が読者登録をしている「さるぼぼ」さんが、昨年の夏

このような記事を書いていらっしゃいました。

 

fish-on-ice.hatenablog.jp

 

24時間テレビについては、敢えて今申し上げません。

でもそこに集まったお金で、横浜は生麦にあるボランティア施設で、リフトカー

車いすの人が車いすのまま乗れる車)が購入され、私が関わった数人の

車いすの方が、その車(リフトカー)のおかげで、伊豆箱根の旅を楽しめた

という事だけは申し上げておきましょう。

その意味で、ほんの数人の方でも24時間テレビの恩恵に預かれた、という事は

事実でしょう。

24時間テレビの存在自体を肯定してるわけではありません。

上述、「さるぼぼさん」の記事にある故大橋巨泉さんの言葉、

「いいですか、政治家の皆さん。福祉を向上させて社会を幸福にするのは皆さんの務めですよ。早くこんな番組しなくていいようにしてください。」

は、あれから数十年経った今、本当に実感できます。

上の「巨泉さん」の言葉の「こんな番組」を、「こんな羽根」とすれば、

この記事で伝えたかったことがわかっていただけるのではないのでしょうか。

 

 

 

 

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ごめんなさい

皆さんに、うそをつきました。

 

最後の愛車になる予定で、「この車を降りたら

免許を返納しよう」と思っていたBMW 1988年式E36型M3を手放すとき、

「私はもう二度と四輪車を買うことはないでしょう。」などと

殊勝なことを言っていたのに、

 

piroji1616.hatenablog.com

 

あれから半年もたたずに、買っちゃいました。

 

読者の皆さん、うそついてごめんなさい。

 

で、BMWかって?

 

いえいえ、今やただの記号、アイコンに堕してしまったBMWの四輪なんて

欲しくもないし、くれるったっていらないし(だから誰もくれるなんて言わないし)、

当然買うことなどできるわけもありません

(残念ながらこれが一番の理由。でも本当にくれるといわれてもいりません)。

 

そもそも我が家は駅から徒歩40分、バスはあるにはありますが、わが町内の住民向けの

三十人乗りくらいの小さな車両、おまけに一、二時間に一往復、

とどめは赤バスが20時05分(土日休日は19時15分)、という

大変辺鄙で交通の便が悪い場所に建っています

赤バスを知らない?グーグル先生に聞いてくださいね)。

もちろんその不便さと引き換えに緑豊かで印旛沼まで歩いて五分。

夏涼しく冬寒い(寒いのは不便さとの引き換えではないです)という

素晴らしい場所。

ちょっと離れた公園には狸が出没し、草取りを怠ったには庭には時々テンが出没。

上空ではトンビがくるりと輪を書き、夏の夜にはアオバズクの声がし、

台地を下ればイノシシが闊歩する、

 

そんな場所に25年も住んでいられたのは自家用車があったればこそ。

車の免許を返納したら暮らしていけないという危機感を最初に抱いたのは

妻でした。

 

まあ、いろいろあった挙句、「車は手放すべきだ。

駅に近いところに引っ越すべきだ」という結論に至ったのです。

 

 

ああ、面倒になってきた。

 

途中すべて省略して結論を書きます。

妻の愛車であったポロも手放し、自家用車が全くない状態で

一か月を過ごしました。

この春から県外の大学に入学した長女、

市外の高校に入学した次女、

特に高校に進学して以来、次女は朝が早いのです。

 

私が寝ている午前七時前に、うちを出て高校に向かいます。

長女は、オンライン授業であったり、実際に登校したり、

アルバイトに行ったり、サークルに行ったりと

非常に安定感のない登校サイクルです。

そのたびに車で送り迎えしていた妻は、ポロを手放してから

長期レンタカーを借りることを提案しました。

 

私も帰宅が21時近くなることがあります。

そんな時は当然自宅で働いている妻が駅まで迎えに来てくれます。

 

まあ、なんでそんな状況でポロを手放したんだよ!という話ですが、

それはまた、別のお話。

 

仕方なく長期レンタカーというものを借りてみました。

でも、やはり不便です。なんといっても「格安長期レンタカー」といっても

当然ロハではありません。

長期レンタカーを借りていた一か月の間に

「中古の軽自動車を買おう」という結論に達したのです。

 

そうと決まれば、四輪免許を取ってから 半世紀に喃々とする元来クルマ好きの私、

迷いはございません。

 

ああ、あまりにも長くなりましたね。ごめんなさい。

 

以下、続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

移ろいゆく季節

ああ、ほんの数日前まで割と暑くて、

スーツを着込んで出勤する私は、校舎につくまでに軽く汗ばむ、

ということがよくあったのですが、今日は違いました。

 

うちの所用で、JR佐倉まで車で送ってもらい、台風の影響で少し遅れた

佐倉発の列車を待っているとき、「寒い!」と感じたのでした。

 

帰宅時もそうでした。

 

京成臼井駅で迎えの車を待っているときも、降りしきる雨のせいだけではなく

寒いと感じたものでした。

まあ、台風と雨のせいだといえばそれまでではありますが、

今回の台風、暴風雨と一緒に秋も連れてきたといえるのではないでしょうか。

 

今まで何度夏から秋の移り変わりを見てきたことでしょうか。

しかし最近、そんな季節の移り変わりの一つ一つが、

いやに心にしみる秋の一日でした。

 

今回の台風がこの国に住む人の暮らしや命を脅かすことがないように…

 

コンピュータ買いました

結局あれ(コンピュータが壊れて)からですが、

ノート型を一台、買っちゃいました。

自分の今の仕事にも、その他もろもろにも

ただいま現在、コンピュータのない生活は考えられません。

ましてインターネットに接続できない環境では

おまんまの食い上げでございます。

 

そこで、千葉市に出講した金曜日に千葉駅そばのビックカメラ

一つ発見。

私が希望する14インチ以上、コアi7以上のものを。

しかあし、さすがに大人の私(年寄りだろ?というツッコミはなしでお願します。)、

 

グッとこらえて、翌日。船橋に出講した際、同じビックカメラ船橋

 

ありました。ASUS(エイスースと読むらしいです)の15インチ、

コアi7というノートを。

千葉より数万円お安いです。

四時間後、船橋校での授業を終え、同じビックカメラから

京成本線に乗り、京成臼井南口のイオンで買い物を終えた私の両手には

ビックカメラの紙の手提げ(中には当然PCです)と、その日の晩御飯の食材。

 

結局壊れたノートPCは買い替えるしかない、

そして翌月の支払いに怯えるしかない、という、今までに何度か経験した事実を

もう一度追体験する私でございました。

 

ということで、ノートPCでネットに接続すできるようになりました。

 

この数日、スターもつけられずにいた、私が読者登録している皆様、

大変失礼をいたしました。

改めてお詫び申し上げます。