還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

豊島園

が閉園したそうな。

千葉の片田舎に住んでいる年寄りには、どうでもよいことです。

が、近隣に住んでいらっしゃる方、

  しばしば訪れていらした方には、

大変な出来事だったのでしょう。

そのショックはお察しいたします。

 

かなり昔(昭和四十年代)の「サザエさん」に、こんな漫画がありました。

子供たちやその親で大混雑している遊園地のオーナーが、深刻な顔で言うのです。

「将来少子化を迎えたら、経営が成り立つんだろうか」と。

その当時はただの風刺漫画だったのですが、今となっては笑えません。

東京ネズミーランドUSJの一人(二人)勝ち(あ、富士急もあったか)。

いろいろな遊園地が潰れていった中に、

私の記憶から消し去り得ない遊園地があります。

横浜ドリームランド」です。

昭和四十年代、このドリームランドは本当に夢の国でした。

小田急江ノ島線藤沢駅に近い駅(たしか、「善行」だったと思います)から

バスに乗ってその遊園地に向かうと、五重塔を模した高層ホテル、巨大な観覧車が

次第に見えてきて、心を躍らせたものでした。

 

園内には西洋の城を模したシンボルタワーと西洋風の庭園があり、そこでバッキンガム宮殿の衛兵のユニフォームを着た吹奏楽団がマーチングを披露していました

(コンセプトがごった煮的ですが)。

 

それらを目にするだけで子供だった自分のテンションは上がったのですが、

アトラクションとして記憶に残っているのは、「潜水艦ツアー」です。

実際は潜水などしません。

観客(乗客)は、ガラス窓が付いた一番船底に座り、ガラス窓から海底を覗く、

という感じでしたが、作り物の人魚だとか沈没が並べられたプールの底を

眺めるだけの、本当に子供だましでした。

コースの最後に滝があり、潜水艦に模した船がその滝を通り抜けることで、

船体がぬれ、海の底から浮上してきたかのように見せる、というものでした。

 

そんな遊園地でも、「キイハンター」や「忍者ハットリくん(実写版です)」の

ロケに使われ、結構人気を博していたような記憶があります。

 

廃園となってずいぶん時がたち、今は横浜薬科大学に売られてしまったようです。

やっぱり、アクセスが良くなかったよなあ、と今になれば思います。

 

ネズミーランドUSJもアクセスいいですよね。

あまり身構えずに行ける、そういう距離が重要なのではないかと思います。

富士急ハイランドは、そこへ行くまでの旅も楽しい、という事でお茶を濁しますが…

 

で、横浜市西部にネズミーランドもどきをつくるという計画の話です(続きます)。

 

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スローなブギにしてくれ

ご存じの通り、南圭孝さんのヒットソングであり、

一連の角川オートバイ映画の一作でもあり、

もとをただせば片岡義男の短編小説であります。

 

この記事を書くに当たって、ネットで調べたら、

動画もあるし、南さんのMVもあるし、百花繚乱です。

が、私は、ネットの情報ではなく、自分の記憶をもとにした記事を書きたい。

 

で、以下三十数年前に観た「スローなブギにしてくれ」(@角川映画)の記憶を

もとに、記すことをご了承ください。

 

角川映画「スローなブギにしてくれ」が上映されたのは昭和も終わりに近づいたころ。

当時働いていたジーパン屋のアルバイトの女子高生(確か「みすず」という名)が映画を観に行き、その翌日店内で大騒ぎをしていたのを覚えています。

「『スローなブギにしてくれ』に、佐藤さんの家が映ってた!」

佐藤さんというのは、同じアルバイトの少年(GTサンパチ乗り)で、

お店を川一つこえた「大和」という町に住んでいたのです。

 

この映画、予告編がよくTVで放映されていたんですが、

その画像からこの近辺(神奈川県横浜市西部及び大和市東部)でロケしてたな、

というのはうすうす想像がついていました。

根拠その1、予告編で主人公と浅野温子が二人乗りをして走っている線路は、

      当時、相鉄線大和駅を過ぎて、もう少し海老名方面へ走った

      ところにあった、県道厚木街道から見えた謎の引き込み線

      (今は撤去されたようです)である

      (この謎の引き込み線についてはもう、調べようがないのかも)。

根拠その2、浅野温子が乗っている電車(本当は気動車)車両は、当時相模線

      (相模鉄道と違ってこちらは国鉄路線)を走っていたキハだと思われる。

その二つが根拠だったのですが、この映画に興味がなかった自分にはどうでもよい事でした。

 

ところが、地上波で放映された作品を見てびっくり!

 

主人公(故古尾谷雅人さん)が、謎のハーレー乗りの女にナンパされたのは、

海軍道路(私の出身中学校のあたりが起点。そのうち記事にします)。

主人公がバイク(多分ホンダのホークⅡ)でうろちょろしていたシーンのひとつが、

自分がよく走った、その当時(四十年以上昔)できたばかりの道。

隣町である「大和」の風景も所々に出ています。

 

アルバイトの女子高校生が、大和に住んでいたアルバイト少年の

「佐藤さんの家が映っていた」と叫んだのもむべなるかな、です

(「佐藤さんの家」は、結局映っていなかったのですが、

大和の街が映っている、と彼女は言いたかったのでしょう)。

 

映画自体は、片岡義男さんのいろんな作品をつまみ食いして、

無理やり一作品にした、という感じが否めません。

 

まあ、若かりし頃の浅野温子さんのムフフを見たい方には

お勧めかもしれませんが。

 

映画自体は面白くも何ともなかったぞ、

とまとめておきましょう(ごめんなさい、藤田さん)。

 

 

 

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焼き直しその6

 

 

またまた、過去記事の焼き直しです。

ちゃんと数えたら、第六弾です。

以下、昨年の9月1日の記事です。

(honeyhornetさん、またリンク張らせていただきました。

ありがとうございます。)

 

毎日暑くて、バイクで出る気持ちになれません。

そんな時は、昔話に花を咲かせましょう。

 

年寄りの世迷言、というより、繰り言だね。

でも、まっちゃん@雨はこれからby東本昌平

が言ってた(気がする)。

「これまで生きてきた時間のほうがこれから生きる時間より長いんだ。

昔話をして、何が悪い。」ってね(すみません。趣旨はあってると思うけど、

違っていたらご指摘ください)。

 

昨日、honeyhornetさんのブログを読んでいたら、

軽井沢シンドローム」とか

www.honeyhornet600.com

 

彼のオートバイ、彼女の島」とか、

www.honeyhornet600.com

 

あまりに懐かしい作品名が出てきたので、ついコメントしてしまいました。

 

本日のお題は片岡義男の小説「湾岸道路」です。

内容自体は、いつもの「片岡作品」って感じで、

不思議な男女とオートバイのお話、です。

 

 

自分にとって印象深かったのは、この小説、女主人公が

湾岸道路(高速のほう)を、湾岸習志野で降り(高速を降りるとそこは、R357)、

遠くに見える(R14京葉道路幕張インターそばの)黄色の看板(マクドナルド)と、

赤い看板(ケンタッキーフライドチキン)の二店舗のうち、

黄色の店に入ってコーヒーを飲む、という描写で 終わるんです。

 

私は、35年前、25年間住んだ横浜を離れ、就職・引っ越しのために

愛機Z750Four初号機とともにこの首都高湾岸線

幕張(湾岸習志野IC)に降り立ちました。

「ああ、あの小説と同じ。」と思いつつ左を見ると、埋め立て地が広がる先の、

国道14号沿いに、確かに黄色の看板と赤い看板が見えるのです。

赤い看板の店には入りませんでしたが、小説の描写と同じ風景に感激しました。

 

今は、二店ともありませんし、埋め立て地だっただだっ広い空き地に

立ち並ぶビル群で、幕張からR14なんて見通せません。

 

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TonyRoma’s

こんなお店や

 

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CafeCROISSANT

こんなお洒落なお店が入る 

 

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マリブダイニング

 

 こんなビルディングが立ったり、

BMWジャパンの本社ビルが建ったり(移転したけど)、

カルフール日本第一号店ができたり(今はイオンだけど)、

神田外語大学放送大学が開学したり、

 

35年というのは、結構な時の流れなんだなあ、と

幕張に行くたびに家内や子供にこの話をするのですが、

そのたびに「また始まったよ、お父さんの昔話。」と、うるさがられて

感動されています。

 

 

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三井アウトレットパーク

にあるこんなお店で

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珍しい!ハートランドビール

こんなものを呑みながら

 

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また肉だよ

こんなものを食べつつ、

9月1日、娘の夏休みのおまけの日に、

昔を思い出してこんな話をしてうざがられる感動される

私でありました。
 

 以上でございます。

あれから一年、いつまで、「ああ暑い」と言っていれば秋が来るのだろう...

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川崎重工のこと

 先ほど、honeyhornetさんの記事を拝見して思い出した、

去年9月のダイアリーの記事です。一部、加筆修正いたしました。

以下、過去記事です。

 

先日、honeyhornetさんのブログ(下です)で、

 

www.honeyhornet600.com

 

川崎重工の幅広い事業(製造業に限ります)に触れられていたので、

ふと思い出したこんな写真を。

 

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川崎重工創立百八十年だと!

(↑百十八年の間違いです)

ヘリ、船舶用エンジン、工業プラント、ジェットエンジン(多分飛行機用)、

ロボットアーム、電車車両、オートバイ、タンカーと、写真を見ただけで

その幅広さがわかります。

 

ちなみにこれは、私が現役の頃、生徒の保護者からいただいたものです。

中身が何だったか忘れましたが、菓子折りでした。

あ、金色でもなかったし、お菓子の下に小判も入っていませんでしたよ。

中身から考えて、常識的な「子供がお世話になってます」という範囲の

お礼だと思います(が、どこで私がカワサキ乗りだと知ったのだろう?)。

 

それはさておき、これ、多分川崎重工の社員限定ですよね。

それをいただけるなんて!

なんてすばらしい保護者だ!

 

この包み紙を見て、思いました。

川崎重工」って、いろんなものつくっているんだなあ、と。

多分「川崎重工」のHPに詳しいことは書かれているでしょうから、

私の感想はこの程度にしておきます。

で、もう一発。

 

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見えますか?Kawasakiの文字。

四年前、脳梗塞で入院した時の病院の壁にあった機材です。

文字が見えなかった方のためにもう一枚。

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Kawasaki

これ、あの「川崎重工」ですよね。

こんなのもありました。

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ほら、このマーク。

 川崎重工ですよ。使い道はよくわからないんですが、

一つには「吸引用」と書かれていました。

 

患者のどこかに詰まった何かを吸い取るためのものなのでしょう。

 

脳梗塞で入院しながら、こんなものを見つけ、喜んで写真を撮っている

私って・・・(ちびまる子ちゃんの語り手風にお願いします)

 

家内も子供もあきれていたのですが、ひょんなところで

川崎重工」を見つけて、喜んだ私でした。

 

他にもね、自分が乗った電車が「川重車両」だと、

すごくうれしいのって、私だけですか(っていうか、変ですか)?

カワサキ乗りの皆さん、ご意見を頂ければ幸いです。

 

という、過去記事の焼き直し第四(あれ?五だっけ)弾でした。

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4月5日の記事です

 

遠い昔のような気がしますが、以下ほんの四か月前の記事です。

 

つい先日の記事で、「雪と桜」とか、「京成さくら駅」とか、

桜に気を引かれていたのですが、今は、チューリップ祭りが開かれています。

場所はいつもの風車小屋。

まずは「桜に染まる町さくら」

所用で市役所に行ったのですが、

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市役所の看板です。


市役所入り口にはこんな看板が。

 

市役所からいつもの風車小屋広場へ。

 

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広場から線路を望むと、

チューリップ畑の向こうに京急電鉄の車両が。

印旛沼のほとりを京浜急行の車両が走るとは

死んだオヤジ(一時京浜急行で働いてました。昭和20年代から

30年代初めのことです。)も夢にも思わなかったでしょう。

ま、そのころは印旛沼の開拓も終わってなかったでしょうし、

私が高校進学の時(昭和40年代終わり)、「(横浜市立)さくら(桜が丘高校)に

合格した」と言ったら、

長嶋茂雄(千葉県立さくら高校出身、あ、佐倉高校です)の後輩になるのか。」と

宣った人ですから、印旛沼も知っていたかどうか、怪しいものですが。

ちなみに、うちの子たちは三人とも長嶋茂雄さんの小学校の後輩です。

 

まあ、それはさておき、印旛沼のほとりでは、四月一日から二十六日まで

恒例のチューリップ祭り(正確にはチューリップフェスタだそうです)が

開催されています。

市のHPによると、屋形船も、オランダ衣装の貸し出しも、出店も、

ストリートオルガンも 全部中止。

このご時勢ですから仕方ないと思うし、そうすべきだとも思います。

開催場所は写真の通り、三密にはならなそうな開けた場所ですから、

例えば駐車場に車を停めて、家族でチューリップを眺めてお弁当を楽しむ、

なんていうのはアリかもしれません。

 

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たまには洗車しましょう。

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銚子に乗ってもう一枚

すみません、銚子ではなく、調子です。

  

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風車小屋です。

本当に風で回るし、小麦を粉にひくシステムも動いています。内部も見学可能

(無料)、最上階まで行けます。

 

毎年県外からの車もたくさん来られるんですが、今年は無理でしょうね。

怖い話(じゃないと思うけど)

 

こう熱くっちゃオートバイに乗る気にならん。

で、

昔々のお話です。

 

私の父方の祖父(私が小学校二年生の冬、他界)は、「富博」と言います。

私の母方の祖父(私が高校二年の一月十七日、他界)は、「実栄」と言います。

 

母方の祖父(実栄さん)の通夜の夜には面白い話が一つあるのですが、

今日はやめておきます。

 

ある夢を見ました。

 

いつ見たのかは覚えていません。

もしかしたら、実英さんの死去のずっと前だったかずっと後だったか。

 

もう記憶は定かではありません。ただ、自分の脳の中で

勝手に、実栄さんがなくなる数日前だったと補正されております。

ま、それはさておき、

 

こんな夢でした。

母の実家(実栄さんが住んでいた家)の近くには、部落の共同井戸がありました

(ここでいう「部落」とは被差別部落のことではなく、村の中の更に小さな単位としての「部落」だとご理解ください)。

 

夢の中の私は、井戸端にしゃがんで何かしていました。

そこへおじいちゃん(実栄さんのこと)が通りかかったのです。

おじいちゃん、どこ行くの?」と私。

おじいちゃん(実栄さん)は、バス停(というより終着のバス車庫)の方に向かって

歩きながら「いや、富博が呼んでいるからちょっと行ってくるだ」とすたすた歩いていきます。

 

それで終わりです。

 

そんな夢を見たというお話です。

母方のおじいちゃん(実栄さん)が亡くなる前だったのか、

亡くなった後だったのか、

こういう夢を見たという記憶以外はもう覚えていません。

 

 

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Z750Fourのこと(昔語り)その3

切符をいただいたお話です。

初号機を手に入れて数年のことですから、今から三十年以上昔のお話です。

 

山中湖へ行った帰りでした。

その南岸を走る道路から道志道(当時はそんなに有名ではなく、おまけに、

ところどころ未舗装路が残るような道でした)を抜け、相模湖ICから高速を使って

千葉へ帰ろうと思った私は、平野の丁字路を目指しておりました。

その丁字路の少し前にガソリンスタンドがあったのですが(グーグル先生に聞いたら、

まだあるようです)、そのスタンドで一台の白バイが燃料補給をしていたのです。

「ああ、白バイもガソリンで走るんだあ」と、間抜けなことを思いつつ、

平野を左折。青山目指して道志道を走り始めました。

道路は片側一車線の黄色センターラインです。

数分間は快調に走っていたのですが、しばらくすると先行車に追いつきました。

 

セリカGTです。

 

こいつが遅い。しばらくは追走していましたが、

いつまでも遅いセリカの排ガスを吸って走るのに嫌気がさした私は

「名ばかりのGTは道を開けな。」と心の中で呟き(BGM「サティスファクション」

@ローリングストーンズ)、ギアを一段下げ、アクセルを一ひねり。

セリカを追い越したのでした。

 

が、その瞬間、BGMはサイレンの音に代わり、

バックミラーの中にいるはずの追い越したセリカの代わりに

青い制服に身を固めた白い悪魔天使が…

 

路肩にZを止め、一人っきりのサイン会の始まりです。

セリカのドライバーが「バ~カ」と言いながら追い越していったような気がしました。

 

気のせいでしょうか?

 

後にも先にもZで切符を頂戴したのは、この時だけです...

あ、いや、高速道の路肩を走っていて切符を貰ったこともありました。

 

いずれにしろ遠い昔のお話です。

今は、そんな追い越しなどいたしません。

 

教訓「交通法規は守りましょう」

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