還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

台風が近づいています。

以前、diaryにこんな記事を書きました。

 

どうも。遅くに失礼します。

お若い方には想像もつかないでしょうが、

昔(50年ほど前)には、電力不足のため、日本中のTV放送局が

放送中止の時間を設けていました。

 

私が覚えているのは、昼の2~4時くらい、

いろいろな局が「放送休止」していたものでした。

 

中学生位(昭和46年から48年頃)には、そんなことはなくなりましたが、

深夜0時を過ぎると、どの放送局も(多分)早暁5時までは、

放送を中止していたものです。ただ砂嵐だけが流れていました。

しかも当時は、衛星放送やUHFなど存在せず、地上波だけでした

(ラジオはずっと放送していたけど)。

 

深夜から翌朝まで異常気象が予想されているとき、頼りになるのはNHKでした。

静止画の上に字幕が流れ、各地の気象状況を流しつつ、BGMは(多分)バッハの

チェンバロ曲です。

 

これが好きだったんです。私が経験した異常気象とは、

ほとんどが「大雪・積雪」に関するものでした。

 

明日は、学校が休みになるといいなあ。

 

そんなことを、深夜のNHKの放送字幕を見、音楽を聴きつつ、

夜更かしをして、

明朝予報が外れてカラリと晴れた空を見ながら、

学校に遅刻していたのは、私です。

 

明日は関東地方を台風が直撃する予報ですが、

ケガ人など、でませんように。

 

では、おやすみなさい。

 

などと、のんきなことを書いていたら、

去年の台風(何号だ?)は、千葉を直撃。

一週間以上の停電を経験する羽目になりました。

 

その件については、いずれdiaryを掘り返しますが、

電気が来ないのは、困った。

エアコン、冷蔵庫はもちろん、

洗濯機も、濯ぎ(か脱水)の途中でダウン、

 

洗濯物の投入口を、10日余りあけられなかったのです。

通電して開けたら、とんでもないにおいが…

 

冷蔵庫はただの断熱ボックス。

最初の二、三日は庫内の食材で多少冷えていましたが、

そんなのがいつまでも持つはずがありません。

 

結局すべての食材を廃棄。

 

冷房も当然、無し。

印旛沼の気化熱で、多少は涼しいこのあたりとは言え、

昼は地獄。

 

幸いだったのは水道が生きていたことです。

おかげで、渇きもせず、

何より、トイレの心配がなかったからです。

 

まあ、偉そうに教訓めいたことはなんぼでも書けるでしょうが、

今夜はこれくらいにしておきます。

 

とにかく、誰もがつらい思いをしないように、

        悲しい思いをしないように、

                 

        と祈るばかりです。

 

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