還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

怖い話

このお話はすべて事実です。

一切の誇張や虚構がないことをお断りしておきます。

そんなに怖い話ではないかもしれない、という事も書き添えておきます。

 

今を遡ること半世紀。昭和四十年代の山梨県北巨摩郡(現北杜市)の、

父の実家でのことです。八月のお盆に帰省していた小学校低学年だった私は、夏祭りの

味噌田楽がおいしくてつい調子に乗って食べすぎました。

 

その深夜、腹痛に襲われました。

 

田舎の農家の家の作りとして、便所(断じてトイレなどというものではない)は別棟。

一間四方の、汲み取り式です(下肥として使うので)。

 

深夜に母屋から離れた便所に1人で行くことの恐怖に、腹痛と便意は勝ちました。

 

一人で布団を抜け出し、位牌がいっぱい並んだ仏壇の前を通り、

母屋から出て便所へ。

 

母屋の玄関(の外)には裸電球が一つ。

便所の電灯はそれより小さな電球。

 

その母屋の裸電球の光が届く範囲を抜け、

便所の前に立った私は、ふと、母屋を振り返りました。

すると、白い着物を着た人が母屋の脇に立っているのです。

「ああ、これが幽霊なんだな」と、子供のくせに冷静に考えながら

便所に入りました。

 

腹痛と便意が収まり(要するに下痢が終わり)、

そろそろ母屋へ戻ろうかと思った時、

足音が近づいてくるのです。

 

「幽霊が来た!」という恐怖心と、

「幽霊には足がないから、足音はしないんじゃ...」というこまっしゃくれた思いが

ないまぜでした。

 

ドアを叩く音がしました。

 

心臓をつかまれたような、というのは

あの時のことを言うのでしょう。

 

「どうした?腹が痛いのか。」

という今は亡き伯父さんの声を聴いて

生き返りました。

 

伯父さんと一緒に母屋に戻りつつ、

さっき幽霊(と、今も思っています)がいた場所を見ると、

何もありません、何もいません。

 

翌朝、日の光の下で見てもやはりそこには何もありませんでした。

更にその日の夕方、伯母さんが近くの川で精霊流しをしつつ、

「ご先祖さん、来年もまた来ておくんなさい。」と呟いていたのを

まだ覚えています。

 

私が見たのは、ご先祖の一人だったのでしょうか。

 

あまり怖くもないお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

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