還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

古い友人の話

今から半世紀昔の話です。

 

横浜市立瀬谷中学校2年生だった私は、

何がきっかけだったのかは忘れてしまいましたが、

放送委員会なるものに所属していました。

主な仕事は、お昼(ごはん)の時の放送。

このお昼の放送というのは、

放送室にある古びたレコード(クラシック音楽ばっかりでした)の中から

適当なレコードを選んで昼食時のBGMとして全校に流すこと、先生方からの連絡事項を

アナウンスすることでした。

主な仕事その二。

校内で放送機器が必要な時に、マイクなどをセットすること。

これは毎月の全校集会、年に一度の体育大会、文化祭、生徒総会などの

結構大事なイベントが多かったように思います。

中一、中二と放送委員を務め、中三の前期に副放送委員長になりました。

その時に委員長だったTとは相性が良く、私が後期の放送委員長になったときは

Tが副委員長を務めてくれて、一年間コンビで委員会を引っ張ってきました。

中学を卒業した後Tに会ったのは二回だけ。

放送委員としては相性が良く、一緒に楽しく仕事をしてきたのですが、

個人的な付き合いはなかったのですから当然と言えば当然です。

高校への通学途中に、偶然相鉄線の中で二度会っただけで、

それ以降は五十年近く顔を見てはいません。

その時の会話で、「高校を卒業したらNHKに就職したい」とTが言った言葉は

今も覚えています。

「大学はいかないのか?」と尋ねた私に「すぐ現場に出たいから」と

Tは答えました。

たしかそれがTの顔を見た最後の時の会話でした。

 

それから数十年。

ある年のNHK大河ドラマのスタッフロールを眺めるともなく眺めていた私は、

その照明スタッフにTの名前を発見したのです。

「いつ音から光に変わったんだろう」と、驚くと同時に

Tが自分自身の夢を果たしたことを知ってとても嬉しかったことを覚えています。

 

それからもNHKのスタッフの一人として着実に仕事をしているであろうことは

いろんな番組のスタッフロールにTの名前を見ることができたことで

確信しています。

放送だけでなく、あるNHKスペシャルの特集が単行本になっているのですが、

たまたま買ったその単行本にもスタッフの一人としてTの名が印刷されていたのです。

 

時は流れて平成が終わり、私は定年退職をしました。

令和元年、Tの名前を見ることはなくなりました。

私と同級ですから、Tも退職したのだろうと思っていたら、

また、最近になってTの名を見るようになったのです。

先日の某番組のスタッフロールにTの名を見て

「まだ頑張ってるんだ」と思うと同時に、

仕事が楽しいんだろうなあ、と羨ましくも思う私でした。

 

愚にもつかない独り言に最後までお付き合いくださって

ありがとうございました。