還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

Z750FOUR(弐号機)納車から7年(その2)。

 

blog.hatena.ne.jp

上記イチイチさんは、私のダイアリー時代からお付き合い頂いている方なのですが、前回の記事におほめ?のコメントをいただいたきました。

また、

 

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上記小売り50さんからは「続きを」というコメントをいただきました。

豚もおだてられて木に登っちゃいました。

続き、納車から7年(その2)です。

 

12月7日、納車を自宅までの配送にせず、

自分で取りに埼玉まで行く、と決めたのには、

深い意味はありません。

早く乗りたかったことと、納車費用の有無です。

 

しかも、私が今住んで居んでいるのは千葉の佐倉市とはいえ、

埼玉には出向で一年+一年、都合二年住んでいたのですから、

そんなに遠く感じることはありません。

結構いろんなところを(車で)走り回っていたので、ある程度土地勘もあります。

加えて、埼玉の川越には年に数回の出張があり、国道16号、東京外環道、関越道経由で

数えきれないほど(この高速道たちができる前は、ずっと16号で)往復しています。

弐号機がいる「クワドリオート」さんは、埼玉県比企郡鳩山町

グーグルマップさんに聞けば、関越道の川越インターまで、そんなに遠くない。

 

仕事などいろいろ調整して、取りに行く日は、12月7日(土)に決定。

いえ、8日(日)でもよかったんですよ。7日は仕事で、何時に終わるかわからなかったので(それでも遅くて午後一時くらいには終了だろうなと思ってはいました)。

 

 

で、弐号機を取りに行く前に準備をしなければいけないのが、

1:ヘルメット

2:グローブ

3:ジャケット

です。

 

初号機を最後に動かしたのは1996年9月、

それから二十数年、

グローブはどこかに行ってしまいました。

ヘルメットはとっくに使用期限切れ。

ジャケットはフロントの袷のあまいレザージャケットが一着、

      通称ドカジャンが一着。

 

いくら阿呆で物忘れの激しい私でも、12月にオートバイで走るのが、

どれだけ寒いのかは、身体がよーく覚えています。

冬のオートバイは、指先、つま先などから末端が冷たく、凍えてくること、

Gパンの下に何か履いても、風を通すものは保温力がほとんどないこと、

ジャケットは、フロントの袷から冷気が入り込むこと、

などなどです。

加えて、ブーツもない、ヘルメットも使用期限を過ぎていること

などなど、一から買わなきゃでした。

そこで仕事帰りに向かったのが〇輪館。

 

SHOEIの白、フルフェイスのヘルメットを購入しました。

 

店員さん「曇り止めシール貼りますか?」

私「(何それ?知らんけど)お願いします。あと、このグローブとブーツも下さい。」

グローブは、冬用グローブで、ワゴンセールに出されていたもの。

ブーツは棚に飾られていたものの中から、街中で履いても違和感のない、

エスタンっぽいものを選びました

(まだ、このメット、グローブ、ブーツは活躍中。でもメットはそろそろ買わなきゃ)。

 

店員さん「リターンの方ですか?」

私「(やっぱり、そう見えるだろうなあ)そうです。二十年ぶりですかね。

 来月初めに納車なんで。」

店員さん「それは楽しみですね。」

など話しつつ、メット、グローブ、ブーツ良し。

 

ジャケットは、「これ」というものがなかったので、見送り。

 

仕事の合間にネットで探したのがこれ。

 

 

[アヴィレックス] B-3 B-3 U.S.A メンズ 2105 55 BROWN US 38 (日本サイズL相当)
 

 

 

 

もちろん中古品です。

 

そうこうしているうちに、7日がやってきました。

家族には

「埼玉までZを引き取りに行くから。」と、数日前から言ってあります。

 

土曜だというのに大事なお仕事があり、終わったのは予想通り午後一時。

天気は快晴(晴れると、夜ひえこむんだよなあ)。

 

メットを持って京成線からJR、東武東上線を乗り継いで埼玉県の坂戸へ。

この先は、電車の本数がめちゃくちゃ少なく、

坂戸駅からはタクシーを使う予定でおりました。

が、その電車の中で思い出しました。

                   (続きます)

 

まあ、ダイアリー当時からお付き合いいただいている方には、

一度読んだことがあるぞ、というデジャブ感満載ですが、

あと二回、お付き合いください。

 

 

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Z750FOUR弐号機納車から7年。

標記の通り、12月7日でZ750FOUR(弐号機)納車から

丸七年が経ちます。

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五年前

         (上記コメントは間違い。七年前でした。)

思えば、生活費の足しに、とZ750FOUR初号機を手放して

(15万円でドナドナされていきました)およそ十年、

オートバイに乗りたい気持ちは抑えられず、定年したら買い戻そう、と

目論んでいたのですが、

「60歳になって(約)二十年ぶりにそんなものに乗られたら、

危なくてしようがない」という家族の声に背中を押され(この辺自分に都合よく

解釈しました)、ネットで検索する日々が始まったのでした。

 

車種選びに迷いはありませんでした。KAWASAKI Z一択です。

が、その当時すでにZ人気はピークに近づいており、

750RSが200万円超。

Z750FOUR(A4、A5)が150万円。

Z750FOUR(D1)が120万円。

 

40年前の5倍以上です。

いろいろ迷い、考えた結果が、

「初号機と同じA4かA5を買おう」でした。

 

確かに750RSの火の玉タンクも、タイガータンクもカラーもかっこいい。

D1のタンクグラフィックは、35年前から丸Zのタンクの中では一番のお気に入り。

900RS、Z1もいいんじゃない?

いろいろ迷いあっちへこっちへ。

 

でも、自分が乗っていて、ほれ込んだのはグリーンのA4。

 

原点に戻ろう、ということで愛機選び(探し)は続きました。

ネットで探すのと同時進行で、千葉に越してきた当時からお世話になっていた、

花見川区の「モトランドカジカワ」さんにも中古探しを依頼に行きました。

 

このお店は、私が千葉に越してきた日と、ほぼ時を同じくして開店したショップです

(多分二、三日違い。私の中の一番古い記憶では、

お店の前に開店祝いの花輪がいくつも並んでいた。)。

当時私が借りた家(二階建ての戸建て。部屋数は二つ。でも、家賃は月3万円。)

から歩いて2分ほどのところにあったのです。

 

初号機最後の車検をお願いして以来、約20年ご無沙汰でしたが、

とある土曜の仕事の帰り、店に立ち寄り

「こんにちは。私のこと、覚えてますか?」と声をかけると、

覚えていてくれました。店長も頭に髭に、白いものが混じり、老眼鏡をかけ、

会わなかった20年という年月の流れの重さを感じさせます。

 

で、「かくかくしかじかで、Z探してるんですけど。」と

中古車探しの依頼をしました。

「業者向けのオークションで当たってみるよ。」という返事をもらい、

自分はまたネットで中古探し。

 

そんな中で…見つけました。

埼玉の「クアドリオート」さんに、赤タンクのA5。

タンクグラフィックはA4と微妙に違いますが、

細部の写真を送ってもらい、決定。

 

途中省略しますが、12月7日(土曜)に、埼玉へ取りに行くことに。

 (続きます)

 

 

 

って、ダイアリー時代からの読者の方はお気づきと思いますが、

去年の記事の焼き直しです。

いいわけですが、ダイアリーの公開を中止した今、

この記事を埋もれさせるのはちょっと惜しい、というスケベ心で

焼き直し公開と相成りました。

 

 

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チャックチャックイエーガー

チャックイエーガーさん(「さん」付けって妥当かあ?)の訃報を読んだのは

今朝の新聞。

 

世界で初めて音速を越えた人(らしいです)。

彼の名を知ったのは、皆さん(多分)ご存じ

『キリン』(春本昌平さんの名作です)の単行本10巻。

「苦しい時にゃチャックチャックイエーガーと唱(や)るといい。これがバイク乗りの

呪いだ」というモヒ(ラムのマスター)のセリフです。

 

その話はこんなモヒの言葉で締めくくられています。

「現実から目をそらしてはならない……

 たとえ悪魔がいたとしてもだ!

 立ち向かう力を...…

 チャック・

 チャック・

 イエーガー

 

60をすぎて、現実から目をさらさずに生きているんだろうか、と

自問してみる私でした。

 

現実って……

 

秋田と言えば…

イチイ...ではなく、ス...でもなく...

人ではなくお米の話です。

ただ今現在有名な秋田県のブランド米と言えば「あきたこまち」。

 

...ですが、「秋系821」号という新品種のお米ができ、その名称を

公募していたところに、わが家の女性陣も参戦いたしました。

当然最優秀賞(賞金100万円及びお米30㌔)などに選ばれるはずもなく、

この募集に応募したことも忘れかけていた一昨日。

 

ポストに投函されていた封筒の中にはこんなものが。

f:id:piroji1616:20201206200911j:plain

当選いたしました。

まあ、末等の賞なのですがお米二合とは言え当選することは嬉しいことです。

受験を控えた長女と次女にはいいプレゼントでした。

私はと言えば、「このお米はおいしい刺身をおかずに食べたいなあ。

イブリガッコもいいし。おいしい日本酒も飲みたいけど、何がいいだろう...…?」

などと、いつもの酒根性の悪さ全開で考えておりました。

 

さてその翌日(もう昨日ですね)、私たち(夫婦)は、酉の市に行ってまいりました。

去年の酉の市には同じように夫婦そろって浅草の鷲神社に出かけ、

帰りがけに「パッカイ」というお店でおいしいものを食べてきました。

 

今年は、新型コロナウイルスが絶好調のこの時期、

好きこのんで東京に出かけるような愚かなマネは致しません。

ただでさえひっ迫している医療体制に余計な負担を掛けない事だけでも、

いま誰もが求められていることではないか、と思っているからです。

あくまで私たち家族の意見であり、同意していただかなくてもいいですけど、

私たち夫婦の矜持として「自分たちは人様に迷惑をかけるのは最小限に努めよう」

という気持ちはあります。

なので、ここの酉の市は密にはならないだろうというあたりを付けたのが

この記事を書いたお出かけの時に

 

piroji1616.hatenablog.com

 見つけた栄町安食にある大鷲神社の酉の市です。

上記のお出かけのとき、酉の市が開かれるという事は確認しておりました。

 

浅草が例年のような人込みなのはニュースで確認済み。

そこでこの安食の酉の市に行こうという事になったのです。

家内は数年前から個人事業主として働いています。

私もこの7月から個人事業主になりました。

私の場合は、結論から言えばアルバイトみたいなものなんですが、それでも

酉の市で熊手などを購入し雰囲気だけでも商売人の気分を味わおうと思ったのです。

 

自宅から車を走らせること30分。

たどり着いた安食の大鷲神社は、予想に反して多くの参拝客でにぎわっていました。

 

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男坂

町営の駐車場から歩いて初めに目についてのが、この鳥居と

急坂(急階段)です。

でも、この鳥居の左手の道路から家族連れなど多くの人が歩いてきます。

手にはお土産やお札、お守りと思しきものを持っています。

「きっとむこうに女坂があるんだろう」と思ってそちらに向かうと

 

 

 

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真ん中のオジサン、ごめんなさい。

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熊手が!

ちょっとした広場に屋台が並び、熊手も売っています。

この広場を通り抜けると予想通り女坂があり、多少緩やかな階段で

大鷲神社に行けそうです。

 

この階段を上ってたどり着いたのが

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大鷲神社

やっとたどり着きました。

 

この神社で夫婦そろって、商売繁盛と長女次女の志望校合格を祈って

来たのです。

 

帰りにはお守りと熊手を買ったのですが、

「合格祈願」のお守りが品切れだったことのお詫びの印にこんなものを

いただいてきました。

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紅白餅です。

夕食の時にみんな揃って焼きもちにしておいしくいただきました。

 

「サキホコレ」の末等当選と言い、この紅白餅と言い、

「ちょっとめでたい」感を感じたこの土日でした。

 

とか何とか言っている今日(12月7日)は、愛機Z750FOUR納車から

7年という記念すべき日なのです。

 

 





 

 

 

 

京成臼井駅前

には、シンボルツリーがあります。

駅前のロータリーに植えられたそのシンボルツリーは、

毎年冬にはライトアップされます。

 

今日、土曜のお仕事が終わって臼井駅を降り南口のジャスコに向かった時のこと、

今日五時に恒例の点灯式が行われるということは知っていたのですが、

まさに点灯式が終わり、色鮮やかに輝いていたのです。

思わず駅ビル(ビルって言ったって二階建てですけど...)から

撮った写真がこれです。

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京成臼井南口

 きれいですよね。やっぱり。

冬の冷たい空気によく合います。

人が密になっているのがちょっと気なりますが、

この冬も駅前を明るく照らしてくれるでしょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘルメットのアレ

変な想像をなさらないように。

と言ってもまあ、変な想像をするのは 

 

katen11.hatenablog.com

 

この方くらいでしょうが…

 

さて、新型コロナ対策のシールドでもなく、どなたかが想像したように

ゴムとかラテラックス製の0.03ミリとかのシールドでもなく、

オートバイで走るときに必要なヘルメットのシールドのお話です。

 私が読者登録をしており、前回の(彼の)ツーリング(私はただの散歩)の際、

すれ違った小売りさんのお話。

 

kouri50.hatenablog.com

 

  この、埼玉から千葉県西印旛沼へのツーリングで小売りさんがコケた、

という話を読んだ時に書こうかとは思ってはいたのですが、

根が無精者ゆえ、ここまでひっぱってしまいました。

 

昔(四、五十年前)のフルフェイスには今のように複雑な開閉システムや

空調システムはございませんでした。

冬の寒い日には吐く息でシールドは曇るし、夏は熱気がこもり放題。

 

ジェットタイプはいくつかのスナップでシールドを固定するような

単純なものでした。

 

私は限定解除試験のために白いジェットタイプのヘルメットを買ったのですが

限定解除試験には白のジェットヘルガが利有利らしいという訳の分からない噂が

流れておりました)、 普段はフルヘルがメイン。

夏は暑い。で、どうするかというとシールドを外します。

開けるより風の入りはよい。

 

ジーンズショップでのアルバイトを終えたとある夏の夜、

海軍道路を普通の速度(この道路、数キロにわたる直線道路なのに、

制限速度は30㌔。よく制服の方々がお店を開いては青い紙や赤い紙の

現金振り込みによる販売大会を開いていたものでした)で走っていた時のことです。

GXのシールドビームの光の輪に白いものが浮かび、こちらに向かってきます。

 

でした。 

 

とっさに頭を左に振ってやり過ごした...はずでした。

ちょっと成功かなりの失敗。

顔面直撃は避けましたが(成功)蛾はシールドを外したヘルメットの

右の隙間とこめかみの間にスポッ‼(大失敗)

頭を振っても出ていくはずがありません。

右耳の側でもがいている音が聞こえます。

 

私、大抵の虫は大丈夫なんですが、だけはだめなんです。

GXを道端に停めて、蛾をつぶさないように慎重にヘルメットを外し、

ヘルメットとこめかみについた鱗粉を払って家路をたどりました。

 

ああ気持ち悪かった。四十年経つ今も、あの蛾が耳元でもがく音を

時々思い出して鳥肌を立てる変な人の世迷言でした。

 

 

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オートバイ乗りの寒さ対策今昔

秋も終わり(秋...…あったっけ?)日々寒さが募る昨今、

陽が出ていない日にはオートバイに乗るのがためらわれるという

方も多いのではないでしょうか(自分がその筆頭ですが)。

 

 先日、私が読者登録しているイチイチさんのこんな記事を読んで

ふと思い出しました。

 

katen11.hatenablog.com

 

今から四十年ほど前、ヤマハのGX250SPを手に入れ、

初めてのオートバイらしいオートバイに浮かれていた私は

(それまではメーターが何周もしたようなスーパーカブだとか

原付一種のシャーシに80㏄のエンジンを積んだヤマハのミニトレ80等が

愛機と呼べるものでした)

どこへ行くのもGXで、という生活を送っておりました。

 

そこで着るものですが、夏の間は何とでもなりました。

当時は、アルバイト先のジーンズショップの店長のおさがりの、

黒いスタンドカラーの(今になって思えばかなりヘボい)シングルの革ジャン。

暑いときには、腕をまくり(袖がニットだった)、フロントファスナーを広めにあけて

走っておりました。

 

問題は冬です。

当時愛読していたオートバイ関係の雑誌の特集に冬の防寒対策がいくつもあり、

その記事を参考に自分なりの防寒対策をしておりました。

記事に曰く、

皮革のジャケットは風は防ぐが保温効果がない。

特に、フロントの袷(ファスナーの部分)から冷気が入り込んでくる。

これを防ぐのは、ダブルのライダージャケットが良い。

 

イチイチさんの判断はその意味で正解だと思います。

が、当時(四十年前)の私には

メルカリもなければダブルの革ジャンを買うお金もない。

で、どうしたか。

コットンの肌着の上にちょっと厚めのコットンのワイシャツ、

大学の生協で買ったトレーナー、そして一日分の新聞紙を胸から腹に当てて

革ジャンを着る。襟元はバンダナをスカーフ代わりに巻く。 

これで革ジャンのフロントの袷から忍び込む冷気はずいぶんと防げました。

Gパンの下にはスキータイツ。足はソックス重ね履き。

これで防風性、保温性は少しは上がった気がします。

 

グローブは、これも高い冬用のグローブは買えませんでした。

そこで、軍手の上にスリーシーズン用の革のグローブ。

こんな格好で冬の間は走っていたものでした。

 

ちょっと話は逸れますが、当時愛読していた週刊アクションに連載されていた

東本昌平さんの作品に出てきた、SR500(400かも)と思しきオートバイに乗る

ひげのおっさんが、革ジャンの上に、ダウンのベストを着ているのを見て、

ちょっとまねしたこともありました。

 

いずれにしろ、寒い。寒かった。

何時間も走らなくても、足も手も指先はキリキリに冷え、

革ジャン自体も氷のように冷え切る。

 

信号待ちごとにエンジンに指先を押し付け、

一定速度で走っている時には、ブーツのつま先を

クランクケースに押し付け、

寒さをごまかしながら走っておりました

(だったら、車にしろよ!)。

 

現在は、オートバイに乗るにも

いろいろな環境、小道具が進化しております。

ヒーターグリップだとか電熱線入りのベスト、グローブなど、

きっと探せばいくらでもあるのでしょうが、それはさておき、

私の冬のジャケットはこれです。

 

 

 

最近では、売り上げ絶好調(らしい)ワークマンのジャケットです。

多少の雨ならはじくので、前の職場での掃除タイムの時など大変重宝しました。

 

オートバイに乗るときにこのジャケットを着ていて寒いと感じたことはありません。

多分オーバーパンツもかなりの防風、保温性があるのでしょう

(履いたことはないですが。いつもはホームセンターで購入した2千円くらいの物)。

 

あと一つはこれです。

 

 

今から七年近く前、二十数年ぶりに復活したオートバイ乗りとしての

冬を支えてくれたジャケットです。

 

首筋、手首、フロント部分、どこからも冷気は入り込みません。

ちょっと見た目がごついので、街中では気恥ずかしい部分もありますが、

さすが高度一万メートル近くを飛ぶ(昔の)パイロットのために作られたという

ジャケットです。

普通の(ヒート何とかではない)Tシャツと、シャツの上にこれを着れば、

厳冬期のオートバイも無問題。

ノーブランドの冬用グローブとこのジャケット、オーバーパンツを履いていれば

寒いことはありません。

最近のフルヘルはシールドも曇らないし、冬の寒さを理由にオートバイに乗らない、

等という事は選択肢は全くあり得ません。

 

本当に世の中って進歩しているんだなあ、と思う2020年の冬の入り口でした。

 

 

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