還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

前々回の続きです。

前々回って?

 

ほら、あれですよ。車を買っちゃったっていうお話。

 

piroji1616.hatenablog.com

 

何を買ったのか、ひそかに気にしていたあなた、

これですよ。

まずヒントからです。

 

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ヒント 1

 

ボディーカラーはシルバー。軽自動車のナンバーを使ったキーホルダーですね。

このキーホルダーの形は最新型のものですが、私が買ったのはもっとずっと古い

中古車です。

 

パワーウインドウはついていません

(うちの子供たちは、最初ウインドウが開けられなかった)。

集中ドアロック?ありません(駐車のたびにすべてのドアのロックを確認して

車外を一周しております)。

さすがにエアコンはついていますから、とりあえず、純粋にアシとして使うには

文句ありません。

 

……と、あまり引っ張っても仕方がないので。

 

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これです。

平成十年式、ジムニーJB23Ⅰ型です。

 

とまあ、今の家に住んでいる限り

クルマは必要不可欠ですなので、必要に迫られての購入です。

 

我が家の最後の車となるであろう、このジムニーについては

また記事にしていきたいと思います。

ごめんなさい

皆さんに、うそをつきました。

 

最後の愛車になる予定で、「この車を降りたら

免許を返納しよう」と思っていたBMW 1988年式E36型M3を手放すとき、

「私はもう二度と四輪車を買うことはないでしょう。」などと

殊勝なことを言っていたのに、

 

piroji1616.hatenablog.com

 

あれから半年もたたずに、買っちゃいました。

 

読者の皆さん、うそついてごめんなさい。

 

で、BMWかって?

 

いえいえ、今やただの記号、アイコンに堕してしまったBMWの四輪なんて

欲しくもないし、くれるったっていらないし(だから誰もくれるなんて言わないし)、

当然買うことなどできるわけもありません

(残念ながらこれが一番の理由。でも本当にくれるといわれてもいりません)。

 

そもそも我が家は駅から徒歩40分、バスはあるにはありますが、わが町内の住民向けの

三十人乗りくらいの小さな車両、おまけに一、二時間に一往復、

とどめは赤バスが20時05分(土日休日は19時15分)、という

大変辺鄙で交通の便が悪い場所に建っています

赤バスを知らない?グーグル先生に聞いてくださいね)。

もちろんその不便さと引き換えに緑豊かで印旛沼まで歩いて五分。

夏涼しく冬寒い(寒いのは不便さとの引き換えではないです)という

素晴らしい場所。

ちょっと離れた公園には狸が出没し、草取りを怠ったには庭には時々テンが出没。

上空ではトンビがくるりと輪を書き、夏の夜にはアオバズクの声がし、

台地を下ればイノシシが闊歩する、

 

そんな場所に25年も住んでいられたのは自家用車があったればこそ。

車の免許を返納したら暮らしていけないという危機感を最初に抱いたのは

妻でした。

 

まあ、いろいろあった挙句、「車は手放すべきだ。

駅に近いところに引っ越すべきだ」という結論に至ったのです。

 

 

ああ、面倒になってきた。

 

途中すべて省略して結論を書きます。

妻の愛車であったポロも手放し、自家用車が全くない状態で

一か月を過ごしました。

この春から県外の大学に入学した長女、

市外の高校に入学した次女、

特に高校に進学して以来、次女は朝が早いのです。

 

私が寝ている午前七時前に、うちを出て高校に向かいます。

長女は、オンライン授業であったり、実際に登校したり、

アルバイトに行ったり、サークルに行ったりと

非常に安定感のない登校サイクルです。

そのたびに車で送り迎えしていた妻は、ポロを手放してから

長期レンタカーを借りることを提案しました。

 

私も帰宅が21時近くなることがあります。

そんな時は当然自宅で働いている妻が駅まで迎えに来てくれます。

 

まあ、なんでそんな状況でポロを手放したんだよ!という話ですが、

それはまた、別のお話。

 

仕方なく長期レンタカーというものを借りてみました。

でも、やはり不便です。なんといっても「格安長期レンタカー」といっても

当然ロハではありません。

長期レンタカーを借りていた一か月の間に

「中古の軽自動車を買おう」という結論に達したのです。

 

そうと決まれば、四輪免許を取ってから 半世紀に喃々とする元来クルマ好きの私、

迷いはございません。

 

ああ、あまりにも長くなりましたね。ごめんなさい。

 

以下、続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車が暴走して、

というセンテンスを、今日は何度耳にしたでしょう。

主語は「車」、

述語は「暴走して」。

 

ということは、運転者には「暴走させよう」という意思は全くなく、

車が勝手に「暴走した」という事ですよね。

その結果二人の人間が亡くなり、

多くの遺族が想像を絶する悲しみのさなかにいる。

 

その責任は「暴走した車」にあり、

運転していた人間は、

「止めようとしたのに、勝手に車がフルスロットルで動いた」

「つまり、悪いのは車であり、私は何一つ悪くない」

という論理になると思うのですが、いかがでしょうか。

 

少なくとも今回の裁判の判決を見る限り、そうではないと思うのです。

被告は(故意か否かは別として)「車を暴走させた」。

その結果二人の人間を死なせた、

と私は思っているのですが、

報道各社の言葉遣いを聴くと

「悪いのはやはり車だ」と聞こえて仕方がないのは

へそ曲がりの年寄りだけでしょうか。

 

亡くなられたお二人のご冥福を祈り、

残された皆様の傷が一日も早く癒えますように。

 

 

安全は、すべての人の願い

なのはいうまでもないことですが…

 

「若者の車離れ」という現実があるそうです。

還暦過ぎの年寄りには想像もつきません。

私が免許を取ったばかりの頃は、まだファミレスもでき始めたばかり。

                 コンビニもほとんどなかった。

                 郊外型のファストフード店も。

なので、高校時代の友人たちと集まるときには、

みんな車で(ほとんどが家庭所有のいわゆる「ウチの車」でしたが)、

誰それの家に集合!っていう感じでした。

 

ネットもない、携帯もない時代、有線電話で連絡を取り合い、

誰かの家に集合すると、何台かの車に分乗して夜のドライブに行ったものでした。

 

横浜西部に住んでいた私、S介、K野、H林の家に集合すると、

行く先は大抵、相模川のもぐり橋か、江ノ島

横浜市中央部に住んでいたM伸の家に集合した時は、

港の見える丘公園山下公園、大桟橋などでした。

 

車を止めても、何をするわけでもない、

高校時代の思い出話、大学生活の話、まあ、俗にいう「無駄話」というやつです。

そんなことをして夜を過ごすのが無性に楽しかったし、

皆自分の運転技術を上げようと、情報交換、切磋琢磨などをしていたものです。

 

そんなふうに「車」が生活の中に入り込み始めたころ、

その事故は起こりました。

 

S本(中学まで同窓だった。高校は全く違う所に進学したので、付き合いはなかった)が運転する車が事故を起こし、同乗していたI原が死んだというのです。

I原は、小学校四年から中学二年か三年ころまで同級でした(高校は全く違うところ

だったので、中学卒業以来、付き合いはありませんでした)。

たまたまI原の妹が当時中学生だった私の弟と中学の同級生だったので、

情報が入ったのだと思います(これは違うかも、ですが、本題とは関係ないので、

これ以上は触れません)。

 

通夜の夜、中学校(横浜市立瀬谷中学校)でI原の担任だった先生方は、

皆、駆けつけてくださいました。

特に中一の時の担任だった粕谷先生は

「正ちゃん(I原のこと)は、優しくて本当にいい子だったよね」と

私に話しかけてくださいました。

 

小学校(横浜市立瀬谷小学校)の先生方(先生と呼ぶのも腹が立つ)は、

誰も来ません。

I原が四年から六年まで三年間担任を持った

𠮷原由比子先生は、本葬の時も顔を出しませんでした。

 

それって、どうなの?と思いますが、今日の話題とは話が違うので、ここで

やめておきますが…

 

 本題に戻りましょう。

通夜の夜、居間に寝かされたI原の遺体の前で、I原のおばあちゃんが、S本に

「正一(I原のこと)を返せ!」と叫んでいたことを

この記事のまとめとしましょう。

 

車の中で彼女と楽しい時を過ごすのも、

    友人と一緒に歌を歌うのも、

  道交法では禁止されていません(ですよね)。

でも、運転に集中せずに悲劇を起こしたあなたは、

「○○を返せ!」というご親族の叫びに何と答えますか?

 

何の話じゃい?と思う方は

 

piroji1616.hatenablog.com

からお読みください。

 

 

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安全はトヨタの願い

だったのは昭和までで、平成と令和は、

事故を誘うような運転を薦めていらっしゃる。

何のことかわからない方は、

トヨタカローラTVCM」でグーグル先生に聞いてみてください。

 

で、下の写真は、言わずと知れたAE86です。

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ブラックレビン

 

この車を見たときに思い出したことが二つ。

 

一つ。昭和四十年代終わりころ、私の中学の同級生飯塚(通称ムーちゃん)が

初代ブラックレビン(トレノだったかもしれない。これも多分ですがTE47)に

乗っておりました。シリアルナンバーが記された、黒いボディにそそられたものです。

 

二つ。故徳大寺御大が、『間違いだらけの車選び』(御大は、

この本で世に出なさった。たしか昭和五十二年版)に、「安全を第一に謳うトヨタ

なぜ危険な黒を売るのか」と、このブラックレビン(か、トレノ)を、評して

いらしたのです。

 

確かに、濃色のクルマは、薄暗い時間に視認しにくいです。

また、そういうやつに限って、ライトをつけないんです。

 

ま、話を戻しましょう。

 

いま、トヨタが「安全」を「願い」にしているのかは存じ上げません。

 

が、敢えて申し上げたい。

いま、ネット上で観られるトヨタカローラのCMは、二本です(うち一本は

まだテレビで放映されています)。

 

いま、テレビで放映されていない方。

可愛い彼女と一緒にドライブする青年が、

一所懸命彼女の歌に合わせようとしている。

彼女は彼女で、ステアリングを回すしぐさをずっとやめない。

急な何かが起こって急ハンドルを切ったとき、彼女の動きはドライバーの

動きを邪魔しないのか。

 

放映中のCM

四人の友達と一緒にドライブをしている青年は、残りの四人(うち一人は

エアギターの様です)が夢中で奏でる音楽に合わせながら歌っているけれど

音楽に神経を集中していて、運転はおろそかにならないのか。

 

どっちのCMも、観ていて腹が立ってなりません。

 

全神経を研ぎ澄まして...とまでは言いません。私も、音楽を聴いたり、

家族の話に相槌を打ったりしながら運転することはあります。

でも、車内の誰より早く緊急車両のサイレンなどには気づきますし、

「人の話を聞いていないんだから」と怒られようと、車中での話に集中したりは

しません。

 

トヨタさんに伺いたい。

「運転は楽しいよ」というイメージCMを流すことが大切なのか、

「車の運転は、集中して」というメッセージを流すことが大切なのか、

 

どちらですか。

 

上記二つのCMは、車の楽しさは伝えているけれども、

ハンドルを握ることの重さは、伝えていないような気がします。

 

すみません、本当に世迷言でした...

が、若い人が事故で一生を棒に振ってほしくない

というのは、本音です。

 

 

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