車が暴走して、
というセンテンスを、今日は何度耳にしたでしょう。
主語は「車」、
述語は「暴走して」。
ということは、運転者には「暴走させよう」という意思は全くなく、
車が勝手に「暴走した」という事ですよね。
その結果二人の人間が亡くなり、
多くの遺族が想像を絶する悲しみのさなかにいる。
その責任は「暴走した車」にあり、
運転していた人間は、
「止めようとしたのに、勝手に車がフルスロットルで動いた」
「つまり、悪いのは車であり、私は何一つ悪くない」
という論理になると思うのですが、いかがでしょうか。
少なくとも今回の裁判の判決を見る限り、そうではないと思うのです。
被告は(故意か否かは別として)「車を暴走させた」。
その結果二人の人間を死なせた、
と私は思っているのですが、
報道各社の言葉遣いを聴くと
「悪いのはやはり車だ」と聞こえて仕方がないのは
へそ曲がりの年寄りだけでしょうか。
亡くなられたお二人のご冥福を祈り、
残された皆様の傷が一日も早く癒えますように。