還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

ただいま考え中

さて、前回の続きです。

「俺たちの勲章」の話は、ただの寄り道です。

昔の記憶を蘇らせるものって、結構売られているんだなあ、

という事を言いたかったのですが、

 

本題はラジオの話なんです。

 

前回の記事で書いたように、高校時代の私は、主にパックインミュージック

中心とする深夜放送にはまっておりましたが、谷村新司のセイヤング、

南こうせつオールナイトニッポンなども聴いておりました。

 

夜、一人で勉強しながら(または布団の中で)聴くラジオでは、

パーソナリティ(当時はDJという言い方が優勢だった気がします)が

自分だけの先輩、友人のように感じられていました(私だけ?)。

自分だけに話しかけてくれているんだ、という錯覚のもと、

パックやオールナイトニッポンには手紙やはがきを書きました。

まだファックスも普通の家庭には普及しておらず、

ジーコジーコ(©サルボボさん)型」の黒電話が一般的な家庭電話でした。

プッシュホンが各家庭に導入され始めていましたが、それとて

アナログ回線のプッシュホンでした。

 

ラジオ番組には、お手紙を書くのが一般的でした。

最初に読まれたのが、愛川欽也さんの水曜パック。

オープニングの「ルート66」のテーマの前に読まれる一言コーナーだったと

思います。

はがきを読まれて、人生最初の失恋の痛みが少しは和らいだ気がしました

(という事は1974年か)。

ま、それはさておき、山本コータローさんの金曜パック「恥の上塗り」でも、

創作大長編(ウソです、そんなに長くなかった)を読まれました(いまだに記念品の

Tシャツが送られてきていない)。

この投稿「横浜市、桜丘高校のピロ」というペンネームもコータローさんに読まれた

ことで、翌朝(土曜でしたが、普通に学校がありました)、相鉄線星川駅前から

桜丘高校へのバス(横浜市営25系統保土ヶ谷駅北口行き。金50円也の全区間均一料金)

のなかは、「昨日のパック、ウチの学校の生徒読まれてたよね。誰だろうね」という囁き声があちらこちらで聞こえており、「フフン。俺だよ」と心の中だけで

ニンマリしつつ登校したのでした。

教室につき、自席に座ると、目の前の席に座っていた女の子(こいつとは本当に

腐れ縁だった)がパッと振り向き、「昨日のアレ、アンタでしょ」と言うのです。

なんでバレたんでしょうか。未だに謎ですが、授業中にいつも自習時間中に時々

ラジオに投稿する手紙を書いていたのは、結構友人に知られていたので、

ま、その所為かなと。

 

このペンネーム(当時はラジオネームとは言わなかった)が、今日のお話の

肝なんですよ。

ああ、長かった。やっと本題に近づきました。

 

この「桜丘高校のピロ」というのは、とある方のペンネームのパクリなんです。

 

                        次回、最終回でございます。

 

 

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ただいま考え中(だめだ。途中で力尽きた)

「年取ると昔のものばっかり気持ちが向くんだから」と、

常々家内に言われます。

 

が、彼女も齢知命に近づきつつある。

先日放映していた「時をかける少女」で懐古心に火が着いたのか、

里見八犬伝」「セーラー服と機関銃」と、続けざまに録画していた。

 

そんな中、某チャンネルで、「俺たちの勲章」の

再(再々...いくつめだろうか)放送を上映しておりました。

「ああ、再放送やってると知ってたら全部録画したのに。

これのDVDボックス、欲しいんだよなあ」と、つい呟く私。

 

すると、天から神が降ってきました。

「じゃあ、確定申告のお礼に買ってあげるよ」と、

天使の声が。

こういう時は気が変わらないうちにありがたくポチしていただきました。

 

 

中村雅俊と今はなき松田優作とが、(主に)横浜を舞台に活躍する

刑事物なのですが、先輩刑事中野(松田優作)と、後輩刑事五十嵐(中村雅俊)の、

友情と刑事としての苦悩、人間としての成長が描かれていて、隠れた名作だと

私は思っております。

 

二人は横浜にある相模署というへんな警察署に所属しているので、

当時の横浜の風景もよく画面上に現れますが、中でも記憶に残っているのが、

五十嵐(中村雅俊)と、五十嵐じゅん(今の中村雅俊さんの奥さん)が出会った「新田間橋」のシーンでした。

この橋のすぐ近くに、私が通院していた歯科医院、同級生の実家(ステーキ屋さん)が

あり、身近な場所でロケが行われていたことに驚いたものでした。

 

相模署で経理を担当していた(と思われる)「雪子」(坂口良子さん)が

可憐で、出張のたびに毎回彼女のおしりを撫でていく中野に、

焼きもちを焼いたりもしました。

 

さて、商品が手元に届いて数週間がたちますが、まだ一作も観ておりません。

涙無しには観られないでしょうから、家族が寝静まったら心置きなく観ようと

目論んでおります。

 

で、「考え中」の内容です。

私は中学高校時代、テレビも好きでしたが、ラジオも好きでした。

これはほとんどの同級生がそうだったように思います。

ラジオは、布団の中で自分一人で没頭できる世界、という意味では、

居間にあるテレビとは違いました。

 

ラジオ放送を聴く、という事にはまった初期の記憶は

NHK第一放送の「日曜名作座」という番組でした。

森繁久彌さん、加藤道子さんというお二人の俳優さんが、

何役をも演じ分ける、ある意味、神業職人芸に頼った番組でした。

放送時間は夜10時半から30分。いい番組でした。

 

もう一つは、ラジオ関東で放送されていた「京急ミュージックトレイン」という番組。

音楽メインのこの番組は、あまり記憶になく、多分当時も聴き流していたのでしょう。

 

そして、 「麻梨子産業株式会社」。TBSで放送されていたこの番組は、

「麻梨子社長」のもとに全国の社員から届く荒唐無稽なアイデアを紹介する、

というような番組だったと思うのですが、中には年賀はがきにインスパイアされた

お中元付きはがきなど、半世紀たって実際に実現しているアイデアも多かったように

思います

(今調べたら、「提供はミニカギャランでおなじみ、三菱自動車」でした)

電話係を故愛川欽也さんが担当してました。

「はい、まりこさんぎょうかぶしきがいしゃです」という欽也さんの言葉は今も

耳に残っています。

このあたりまでは、まだ午前零時前の番組で、深夜放送ではなく、夜の入り口って

感じだったでしょうか。ラジオも、科学雑誌の付録のゲルマニウムラジオでした。

 

本格的に深夜放送を効き始めたのは、多分中三の頃だと思います。

そのあたりから記憶が鮮明になってくるのですが、パックインミュージック

(通称パック)が入り口でした。

主に聞いていたのは水曜パック(火曜深夜一時から)の、愛川欽也さんのパック。

         金曜パック(木曜深夜一時から)の、ナッチャコパック

         土曜パック(金曜深夜一時から)の、山本コータロウーさんの

         パック。

でした。

 この場を借りて、小島一慶さん、ご冥福をお祈りいたします。パック、聴かなくて

ごめんなさい。

 

力尽きた。

「ただいま考え中」までたどり着けなかった、情けない私をお許しください。

 

ちなみに、ボールドの部分は、是非ググってみてください。

 

さあ、体力をつけて、また...

                        続きます。

 

 

 

 

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調子に乗って鉄道模型の話

を、もう少し続けます。

 

鉄道模型に興味を持ったのは、実は「2丁目3番地」以前だったのかもしれません。

小学校に入るか入らないかの頃、幼稚園に通う道の横のドブ(いま、ドブなんて

ないですよね)に展開図のまま着色されて捨てられていた車両(いえ、紙切れ)を

観た時だったと思います(この幼稚園には卒園してからも週に一回くらい通っていた。留年ではないですw)。

 

大きさからしてHOの車両だったと思うのですが、すごく気持ちが動きました。

 

こういうの欲しいなあ、と。

 

もともと列車は好きでした。

それはこちらで紹介した通り。

 

 https://piroji1616.hatenadiary.jp/entry/2020/05/01/161607

 

時間は前後しますが、プラレールがこの世に生まれたのが1959年、

私が生まれた年です。

 

そのプラレールに比べ何十倍もリアルな鉄道模型は子供心に憧れでした。

 

自分の記憶にある一番古いクリスマスの記憶は、クリスマスの朝目覚めたら、

プラレールのレールが敷いてあり、汽車が乗っていたシーンです。

まあ、プラレールも好きだし、鉄道模型とは比較の対象ではないので、

プラレールの話はここまでにします。

 

で、鉄道模型がほしいなあと、思い続けていたのです。

そこで出会ったのが前述「2丁目3番地」でした。

 

眠くなったので、続きます。

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自粛期間中の楽しみ(改めてその1)

本日から、改めてはてなブログを始めることになりました。

宜しくお願いします。

 

さて、ダイアリーの方で放置されていた鉄道模型ですが、

結局50cm四方、厚さ5センチほどの発泡スチロール版を買い、

これにトミックスミニカーブレール(確かC177。半径17.7cmのカーブが作れる)に、直線レール(これは長さ140ミリのポイントレール)を二本使い、

一つのポイントは、楕円の内側にスイッチバック駅をつくるのに使用、

もう一つは楕円の外側に引き込み線をつくるのに使いました。

 

今はなきレイアウトなので(東日本大震災の時、隣にあった海水水槽の

塩水を被り、ダメになってしまいました)、詳細はこのくらいにしますが、

こんな動画を撮っておりました。


蛙沼駅 その1

 

 

 

次の目標は、90×60のレイアウトボードに、どんな線路をひくか、

どんな風景をつくるか、です。

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ダイアリーへのご招待。

ご訪問ありがとうございます。

 

よんどころない事情で、ダイアリーからはてなブログへの引っ越しが

まだできておりません。

御面倒ですが、下記リンクへ改めてご招待いたします

 

https://piroji1616.hatenadiary.jp/

 

今後もよろしくお願いします。