ただいま考え中
さて、前回の続きです。
「俺たちの勲章」の話は、ただの寄り道です。
昔の記憶を蘇らせるものって、結構売られているんだなあ、
という事を言いたかったのですが、
本題はラジオの話なんです。
前回の記事で書いたように、高校時代の私は、主にパックインミュージックを
中心とする深夜放送にはまっておりましたが、谷村新司のセイヤング、
南こうせつのオールナイトニッポンなども聴いておりました。
夜、一人で勉強しながら(または布団の中で)聴くラジオでは、
パーソナリティ(当時はDJという言い方が優勢だった気がします)が
自分だけの先輩、友人のように感じられていました(私だけ?)。
自分だけに話しかけてくれているんだ、という錯覚のもと、
パックやオールナイトニッポンには手紙やはがきを書きました。
まだファックスも普通の家庭には普及しておらず、
「ジーコジーコ(©サルボボさん)型」の黒電話が一般的な家庭電話でした。
プッシュホンが各家庭に導入され始めていましたが、それとて
アナログ回線のプッシュホンでした。
ラジオ番組には、お手紙を書くのが一般的でした。
最初に読まれたのが、愛川欽也さんの水曜パック。
オープニングの「ルート66」のテーマの前に読まれる一言コーナーだったと
思います。
はがきを読まれて、人生最初の失恋の痛みが少しは和らいだ気がしました
(という事は1974年か)。
ま、それはさておき、山本コータローさんの金曜パック「恥の上塗り」でも、
創作大長編(ウソです、そんなに長くなかった)を読まれました(いまだに記念品の
Tシャツが送られてきていない)。
この投稿「横浜市、桜丘高校のピロ」というペンネームもコータローさんに読まれた
ことで、翌朝(土曜でしたが、普通に学校がありました)、相鉄線星川駅前から
桜丘高校へのバス(横浜市営25系統保土ヶ谷駅北口行き。金50円也の全区間均一料金)
のなかは、「昨日のパック、ウチの学校の生徒読まれてたよね。誰だろうね」という囁き声があちらこちらで聞こえており、「フフン。俺だよ」と心の中だけで
ニンマリしつつ登校したのでした。
教室につき、自席に座ると、目の前の席に座っていた女の子(こいつとは本当に
腐れ縁だった)がパッと振り向き、「昨日のアレ、アンタでしょ」と言うのです。
なんでバレたんでしょうか。未だに謎ですが、授業中にいつも自習時間中に時々
ラジオに投稿する手紙を書いていたのは、結構友人に知られていたので、
ま、その所為かなと。
このペンネーム(当時はラジオネームとは言わなかった)が、今日のお話の
肝なんですよ。
ああ、長かった。やっと本題に近づきました。
この「桜丘高校のピロ」というのは、とある方のペンネームのパクリなんです。
次回、最終回でございます。