還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

一つの時代が終わりました2

BMWに一度試乗してほれ込んでしまった私は、6気筒MTのBMW車を

手に入れる算段を頭の中で始めました。一番のネックはお金ですがそれは後ほど。

 

タイミングというのは恐ろしいものです。

 

私が敬愛していた徳大寺有恒御大著「間違いだらけの車選び1987(1988だったかも)」に、BMWMT車についてのコメントがあったのです。

要約すると

「コンパクトかつパワフル。素晴らしいクルマだ。」

「ようやくバイエルンBMWのBです)にも日本のファンの声が届き始めたようだ。

6気筒のBMWが日本にも入り始めた。バイエルン製の6気筒エンジンをMTで味わう。

これぞ至福。」

 

というようなことです。

敬愛する徳大寺御大がBMW320のMTには大賛辞を送っているのです。

 

時を同じくして月刊ドライバー誌にも6気筒MTのBMW車の試乗記が

載ったのです。やはりべた褒めでした。

 

単純な私はもう購入に向けて頭のすべてが加速していました。

 

加えて金銭の問題を解決した「タイミングの恐ろしさ」です

(さっきは「さておき」ましたが)。

 

一つめ。

私の埼玉県への出向が決まりました。

出向手当は今では信じられない額です。

おまけに、住居費も全額出向先が持ってくれると。

 

経済的なネックはなくなりました。

 

二つめ。

朝の出勤途中にジェミニが追突されたのです。

渋滞している出勤途中に、前車に追随して止まった私は、

ルームミラーを見て不安に思いました。

後続車の女性ドライバーは助手席の友達らしき女性と楽しげに会話しながら

横を向いて笑っているのです。

「集中して運転しろよな!」という私の不安は次の赤信号で的中しました。

 

ものすごい衝撃とともに私のジェミニは追突され

(ブレーキとアクセルを間違ったんじゃないの、というくらいでした)

リヤのトランクはぺちゃんこでした。

大げさではなく、文字通りぺちゃんこです。

トランクがなくなっていました。

 

当時いすゞは斜陽真っ盛り(というのも変ですが)、

全国からディーラーが撤退を始めていました。

 

千葉県地方も例外ではなく、修理の見積もりを出してもらえる

ディーラーはもうありませんでした。

 

必然的に足を運んでいたBMWの正規ディーラーにお世話になりました。

 

「修理の見積もりが出ましたよ」というBMW正規ディーラーのセールス氏の

電話に応えてディーラーに行くと、

 

修理の見積もりと一緒に新車の見積もりを書いているじゃあないですか!

 

付き合ってくれた(というか86レビンで送ってくれた)アラシさんは、

 

「ここまで来たらハンコ押しちゃいなよ!ジェミニが潰れて修理費(頭金の手助け)

を出してくれたのは

これまでの恩返しだよ」と気軽にいいます。

アラシさんは気軽にいったけれど、気軽にハンコを押したのは私です。

 

その日から数日後、私は、6気筒MTの

BMWE30MTスポーツバージョンの契約書にハンコを押していたのです。

 

数日間続きます。