還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

6月19日


今日6月19日は、言わずと知れた「桜桃忌」です。

稀代の天才(だと私は断固思う)作家、太宰治玉川上水に入水自殺し、

遺体が発見された日です(太宰の誕生日でもある)。

太宰が敬愛していた森鴎外林太郎と同じく、東京三鷹禅林寺に葬られたのですが、

聞けば森鴎外林太郎の墓の向かいにあるとのことです

(行ったことがないので詳細不明)。

6月19日には毎年「桜桃忌」が開かれるというのですが、

今年は新型コロナウイルスの影響もあり、どうなんでしょう。

 

ま、それはさておき、太宰の話です。

私は何を隠そう(隠す必要もないが)、太宰治の愛読者です。

太宰の生涯に影響を与えたであろう場所に、いくつか触れたことがあるのが自慢です

(簡単にいえば、太宰治の聖地に行ったことがあるという事です)。

 

太宰は、旧制弘前高校で学んでびました。家内の生まれ故郷は青森県弘前市

当然弘前市には何回も行っております。

その弘前は太宰が学生時代を過ごした街です。

また、太宰が生れたのは金木町。

十八年も昔の写真ですが、弘前に帰省した時に「斜陽館」に行ったときのものです。

 

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斜陽館

(面倒なので、写真の修整はしませんでした。

しなくても、もうみんな変わってしまったので…)

後ろのツーリングのお姉さんは、まだ、オートバイに乗っているのだろうか。

 

あ、話を戻します。

ここが太宰の生家か、この柱も庭も太宰が見て育ったのか、と、

感激したことを覚えています。太宰が座って、「たけ」からご飯を食べさせてもらった

という蔵の石段は、角が摩耗し、丸くなっていました。

そんなことを覚えています。

 

昭和五十三年の春、従兄の運転する車で夜の御坂峠に行ったことがあります。

多分冬期の通行止めが解除になってすぐだったと思います。

従兄の車はセリカ1600LB。あの旧道の曲がりくねったワインディングを

テールを滑らせながら登っていくと、トンネルの向こうに取り壊した「天下茶屋」の

建物と思しき廃材の山が。

 

「ああ、この材木の山が太宰治が滞在していた天下茶屋の建物だったんだなあ」と

感慨にふけりました。

天下茶屋はその後再建され、今も立派に営業している様子。

私も、昭和五十三年の春以来、お気に入りのドライブ、ツーリングの行き先として、

何度も訪れています。

この旧道のトンネルから出てきた二人の娘さんは、この写真の富士を見て

「打たれたように」立ち止まったのでしょう(詳細は『富岳百景』でどうぞ)。

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写真、過去の記事からの使いまわしです。

旧道のトンネル(照明もなく、真っ暗)を抜けてすぐ、この景色を目にすれば

誰も息をのむことでしょう。何しろ国道20号から離れて、御坂への鎌倉往還に入って

からは、トンネルを越えるまで全く富士の気配も何も感じられないのですから。

この天下茶屋から徒歩で少し上ると「富士には月見草がよく似合ふ」という

文句を刻んだ文学碑があります(写真が見つからない)。

 

ちなみに下の写真は、甲府の街から富士を望んだものです。

太宰が甲府の町でお見合いをした石原美智子さんに富士に雪が降ったかを聞かれた時

甲府の町からも富士が見えるのに気付き、「ばかにしていやがる」といったという

あの富士です。

この写真は、2018年10月末に伯母の葬儀の時に撮ったものですから、太宰が甲府から

見た富士と時期的には同じだと思います。

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富士の山頂が少し見えます。

 

最後は、船橋夾竹桃。太宰が船橋に住んでいたころ植えたという夾竹桃

船橋市役所に移植されているというのです(これは見ていません)。

ま、これはそのうち見に行こうかとは思っておりますが。

 

聞けば今回の芥川賞の候補作に太宰治のお孫さんの作品が選ばれているとか。

太宰があれほど欲しがった芥川賞を、85年の月日を越えてお孫さんが受賞するかもしれない。

受賞すれば太宰も草葉の陰で喜ぶ事でしょう

(で、なんで私はまた、選考から漏れたのだろうか…)。

 

 まとまりも何もないですが、本日はこれで。

 

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