還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

写真も何もない、北海道でのキャンプの思い出。

なので、いつもにもましてつまらない事、請け合いです(本当に阿呆です)!

 

ま、置いといて、なんでこんな突拍子もない珍妙な記事を書き始めたのか...

昨夕、BS-TBSの「日本の旬を行く!路線バスの旅 把瑠都がめぐる北海道!

釧路~知床」という番組を見ていて、北海道を愛機Z750FOUR(初号機)で

旅したことをふと思い出したのです。

 

それは今から30年以上昔、まだインターネットなどなく、野外で泊まるための情報は、

小学館の「BePal」という雑誌位。

丁度「アウトドア」という言葉が人口に膾炙し始めたころでした。

 

北海道ツーリングに関する情報も、雑誌しかなかった。

「月刊オートバイ」「ミスターバイク(まだBGではなかった)」、

「THE Bike(廃刊になりました)」くらいなもの。

あとは、地域情報誌のようなものだったでしょうか。

 

そんな情報の少ない中、行く先はとにかく北海道(ったって広いんだから!←阿呆)。

できるだけ高速を使わず、青森か野辺地、または大間崎からフェリーに乗って

北海道入りする。

あとは風の吹くまま、気の向くまま、といういい加減な旅です。

ただ、当時定職に就いていた私にはタイムリミットがありました。

期間は十日間(夏休みをフルに使って十日間でした)。

北海道へは往復で三日、北海道で気ままに過ごせるのは約一週間でした。

 

準備したものは、ダンロップの一人用テント、創業間もなかったモンベル

マミー型寝袋、EPIのガスコンロ、小さいケトル、飯盒、シェラカップ

アルミの無垢の水筒、あとはCRC556、針金、着替え位でしょうか。

ランタンはありません。

今からすれば笑ってしまうような装備です。

でも、コンロで料理できなかったら、カップラーメンでも食べればいいや、

くらいの気持ちで旅に出ました。

まあ、とにかく国道4号線か6号線を走って青森県につき、フェリーで北海道入り。

あとは本当に気の向くままです。当然、ナビなどありません。

道路上に出る地名表示を見ながら、面白そうなところ、有名な所へと

愛機のフロントを向ける旅です。

 

そんな中でも、JR(もう国鉄ではなかった気がする)の駅前には

必ず周辺の案内地図があり、かなり高い確率で「無料キャンプ場」がその地図に

出ていたものでした。

 

確か洞爺湖の近くの無料キャンプ場でのことです。

一人で焚火をしながら晩御飯を食べていた私に二人の青年が声をかけてきました。

「ご一緒してもいいですか?」「どうぞ。」と、食後の酒を三人で飲みながら

話に花を咲かせました。

聞けば二人は大阪から来た先輩、後輩の間柄。

先輩の方はいつかお金をためてオーストラリアをオートバイで走りたいのだとか。

そんな話をしているとお隣のテントのオジサン(と言っても当時の私と同じくらいの

歳でしょう)が話に入り込んできました。

この方はご家族でいらしていたのですが、なぜか私たちの話の輪に加わってきて、

結構夜遅くまで(小さめの声で)話は続きました。

 

そこで知り合った皆さんとはそこで分かれ、

また一人でうろうろしている時、中標津あたりでめちゃくちゃ長い直線道路に出会いました。

それが、冒頭の番組で把瑠都さんが歩いていた、「ミルクロード」だと

知ったのがこの駄文の引き金になりました。

 

気の向くままの旅でも素晴らしい景色に出会えるし、

マニュアル通りでないキャンプでも、その醍醐味は味わえる。

 

そんなことを思い出させてくれた番組でした。

 

何かマニュアル通りに道具を揃え、マニュアル通りのテント泊をしなければいけない、

という強迫観念とは無関係だった何十年も昔の思い出を語る、

いつもの年寄りの繰り言でございました。

 

あの青年たちは今どうしているのだろう?

 

先輩さんからは「夢がかなってオーストラリアを走りました」という年賀状を

いただいたけれど、それも何十年も昔の話。

今どうしているのか知る術はありません。

もし、峠道で250や400に置いていかれる、どんくさい、

(しかも千葉に住んでいたのになぜか)横浜ナンバーのZ2を覚えていてくれて、

この記事を読んでいてくれる、というようなあり得ない奇跡を願う

酔っぱらいの戯言でございました。

 

皆様、お休みなさいまし。