還暦過ぎの750乗り。そんなに忙しくない、趣味に溺れたい々。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

(焼き直しの)病気のことその3

さて、十日間の入院生活のスタートです。

 

毎朝、食事前に検温と血圧測定。そして投薬と点滴。

投薬と点滴は、血栓を溶かし、血管を広げ、血圧を下げるためのものでした。

 

五日後にはリハビリが始まるのですが、それまでは

ひたすら食べて寝て、の生活が続きました。

御多分に漏れず、テレビを見たり、窓の外を眺めたり、という

日々でした。

 

ああ、あの頃に「なつぞら」放映していれば、

入院の徒然もずいぶん慰められたろうになあ、

というのは、勝手な感想。

 

私の症状を見ながら、医師を中心に、

きちんとチーム医療のプログラムがたてられていたようです。

 

五日の入院と静養の結果、血圧も低下し、

まず、理学療法(昔は物療とも呼ばれていたらしいbyデジタル大辞泉)です。

このリハビリは、「身体に障害のある人に対し、運動療法・マッサージなどにより、リハビリテーションとして行う治療」(デジタル大辞泉による)で、

入院後も身体的な障害を自覚できなかった自分には、

「いらないんじゃない?」と思っていたのですが、

今にして思えば、あの時のリハビリのおかげで、(身体的に)普通に

生活できているのかもしれません。

手すりと手すりの間を歩いたり、手足をマッサージしてもらったり、

というプログラムがメインでした。

 

もう一つのリハビリは「作業療法」です。

このリハビリは(デジタル大辞泉には)、

「病気の回復や社会復帰の促進を図る精神療法」とあります。

作業療法士さんが話した一つのストーリーを、どこまで理解していて、

どこまで再現できるか、というような内容でした。

 

実は、前の記事で記した、脳梗塞で入院した同僚ですが、

入院してから少し「?」というところが顔を出していたのです。

今でも忘れられないのは、

「今日の17時までに必ずこの書類を仕上げること」という指示を

出していたにもかかわらず、書類が上がってこない。

というか、全館放送をかけても反応がない。

 

そこで携帯に電話すると、

「今日はどこそこの○○で、××の特売をやっているので、

車で向かっている」という返事。

「例の書類は?」という問いかけにも「ああ。」というだけ。

「すまないけれど、今すぐ職場に戻って、仕上げて。」

といって職場に呼び戻し、書類を作らせた、ということがあったことです。

 

これ以外にも、似たようなポカが多く、私も上司への説明に困ったことが

何度かありました。

 

作業療法士さんに、この話をすると、

作業療法というのは、そうならないためのリハビリである」旨の

返事をもらいました。

そして、「今のあなたの様子を見ていると、全然心配はないから。」

というありがたいお返事。

なによりホッとしました。

 

午前中は、点滴と静養、午後はリハビリ、という十日間の生活が終わり、

無事退院の日を迎えたのでした。

 

そのころには、病院の向かいにあるマンションの、例の車のフロントマスクも

一つに見えるようになっていました。

退院の日のMRI検査の結果、

「左脳幹の一部の梗塞は治癒していない。」とのこと。

右手に少なからず後遺症が残るでしょう、と言われたのですが、

その後遺症は具体的には、右手のしびれ、右手の温感の異常(寒いのに暑く感じたり、暑いのに寒く感じたり)というものでした。

                          続きます

 

 

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