還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

(焼き直しの)病気のことその2

さて、急遽入院が決まり、家内や子供たちはかなり動揺していましたが、

自分は割と平静でした。

 

というのは、

私の父は、入院当時の私より何年か若くして、会社で勤務中に脳梗塞を発症。

救急車で川崎市内(当時父は、川崎の浅田にある運送会社に勤務していた)の

病院に搬送され、入院、右半身がほぼマヒ状態になってしまい、

その後二回目の脳梗塞で(最初の発症からは二十年以上経っていましたが、)

他界しているのです。

 

そんな経験から、「自分の梗塞は軽い。しかも早期に発見できた」という

変な自信から、まるで深刻に考えていませんでした。

 

というか、たばこ好き、酒好き、平均睡眠時間5時間。血圧超高め(勤務先の春季の検診ではいつも上が180)。発症しないわけがないといつも思っていたし、勤務先の同僚が脳梗塞を発症したときには、彼の退院後、前兆を聞きまくり、

参考にもしていたからです。

なので、前日のTV番組で言及されていた前兆通りの前兆がいくつも現れたとき

(特に対向車が2台に見えたとき)には、

「っしゃ。来た。」という感じでした。

 

前述の同僚も、自身の運転で病院へ行き、入院したという経歴を持っています。

私も自分で運転して病院まで来て、「MRI検査が終わったころ、迎えに来てね。」

と妻に言って車で帰ってもらっていたのです。

まあ、入院が決定してから、家内にパジャマを買ってきてもらい、ついでにバターロールパンを一袋差し入れてもらい、10日間の入院が始まったのです。

 

その晩(といっても18時ころ)の療養食は

・カレイの煮つけ

・ほうれんそうのお浸し

おかゆ

 

って感じでした。

いや、まずくなかったです。正直、以前食べた病院の食事の数倍おいしかった。

でも、何より量が少なかった。

それで前述のバターロールパンの差し入れになったのですが、

実は、これはいけない。

 

後で知ったのですが、私の食事は高血圧症対応の、減塩食だったのです。 

それを知ったのは、退院して数か月経ってからでした。

当時の私は、「あそこのパンがおいしい。」「ここのパンはまずい。」などと

わがまま放題。

それでも入院当日、病院の向かい側にあるマンションの駐車場に止まっていた

ある車のフロントマスクが、「まだ二つに見える。」ということを

気にする余裕を持ちつつ、減塩食を処方されているにもかかわらず、

パンを所望していたのでした。

            

               続きます。

 

 

 

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