麒麟が来る 最終回
私、信長は嫌いです。
そもそも我が先祖(○○氏)はずっと山梨に住んでおり、武田信虎様、信玄公、
そして勝頼様に仕える地侍だったのです(中には旗本まで出世した者もいたらしい)。
「祖霊ましますこの山河」を踏みにじった信長に親近感を持てるはずもありません。
武田家、織田家滅亡の後、家康めに下った我が〇〇氏一族もいたようですが、
私の家系はそれを潔しとせず、土とともに生きる(つまりただの農民になる)道を
選んだようです。
ウチの家系の話は、ここではこのくらいでさておきます。
で、本能寺の変の話です。
私が中学校三年生の時、NHKの大河ドラマでは「国盗り物語」(原作司馬遼太郎氏)を放映していました。
寺尾聡さん演ずる、家康めが天下を統一するまでを描いたものだったと思うのですが、「本能寺の変」の回、五十年近く経っても忘れられないシーンがあります。
本能寺の変の直前、近藤正臣さん演ずる明智光秀がどこかの連歌の会で回でこんな歌を
詠むのです。
「時(土岐との掛詞。光秀は土岐源氏の出身だったという前提あり)は今
雨が下(天下のこと)しる(雨が降るの「しる」と「治める」の掛詞)
五月哉」
要するに、「土岐氏である自分が天下を納める五月よ」という意思表示です。
はっきりと「信長めを討つ」と言っているわけです。
勿論、この句の意味が分かる人にしか光秀の真意はわかりません。
光秀が詠んだ歌の表の意味をなぞり、
「ああ、この季節(五月末です)に相応しい五月雨を詠んだ歌だな」と思っている時に
同席した里村紹巴(著名な連歌師。演じたのは西村晃さん、二代目黄門様です)は
光秀の真意に気づきます。
そこで詠んだのが
「花落つる流れの末をせき止めて(この句はあまり詳しく知りません。
要するに「やめておけよ」っていう歌)」でした。
その前後の良い結果が出るまで三回おみくじを引く
近藤正臣さん演ずる光秀の鬼気迫る演技も含めて、未だに忘れ得ません。
その後の本能寺での戦闘シーンがかすむほど印象が強かったのです
このシーンは、私が現役のころ、「連歌」の説明をするとき
必ず使っていたものであります。
そのシーンがなかった今年の大河が残念だと思った、ということで
締めくくりましょう。