日本の秘境
タイトル通り、『日本の秘境』という本があります。
筆者、岡田喜秋さんは、1926年生まれ。まだご存命だそうです。
1960年に単行本として刊行されたものが、文庫本として重版を重ね、
今に至っているようなのです。前職の図書室の廃棄本の山から見つけたのですが
それはもうボロボロの文庫本でした。内容に惹かれてネットで
新品を買ってしまったのです。
さて、本題はその内容です。
令和のこのご時世に日本に秘境なんかあるのか、と思われるでしょうが、
この本は昭和三十年代の紀行文です。
今からは想像できないほど、日本全国に、田舎とか秘境というものが存在して
おりました(今も、「ポツンと一軒家」ってありますが)。
斯くいう私、昭和40年には一応横浜市に住んでいたのですが
(「一応」というのは、横浜の中心部の人たちには「横浜のチベット」と呼ばれていることを高校に入学して知ったからです)、家の風呂は薪で沸かしていました。
毎週日曜の朝は、父親が薪を割る音で目覚めておりました。
ガスはプロパン。
山梨の両親の実家からの荷物は、最寄りの駅留め。駅まで取りに行かなければ
ならないのです。
その山梨の家ときたら、母の生家は甲府からバスで一時間。しかもそのバス、
朝、甲府行きが一本(多分甲府市内に通う高校生や通勤客向け)、
夕方、甲府から村への便が一本(多分上記の人たちの帰宅用)。
炊事は土間にあるかまどで、茶碗を洗うのは家の前の小川で。
こたつは掘りごたつに炭火。
父の実家は、駅から近かったとはいえ、家の中の梁に燕が巣をつくるような
家でした。
かやぶき屋根です。職人さんがいなくなってしまったそうで、
六十年に一度行われる萱の葺き替え(次で四回目だったそうです)ができなくて
取り壊されました。
「のど赤きつばくらめ二つ梁にいて垂乳根の母は死に給う也」という茂吉の歌の舞台は
こういう家を知らないと理解できないだろうな、と思います。
玄関から入った燕の巣が、土間と居間の境にある梁にあるので、
燕がいる期間は、日が高い時間は玄関は開けっぱなし。
梁の土間に面したほうに巣をつくるので、糞をしても問題はない。
土間を挟んで、居間の対面には、馬小屋。
昭和前期は一つ屋根の下に、馬と同居していたそうな…
田舎自慢で終わってしまった。
「日本の秘境」について、
続きます。