還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

ただいま考え中(本題かつ最終回)

さて、前述したラジオ番組の中で、

「桜丘高校のピロ」というペンネームは、とある方の

ペンネームからいただいた、と書きましたが、

そのお方こそ、この三連投の記事の中心におられる方なのです。

そのお方は何を隠そう(隠そうとは思っていませんが)、

あの「金曜パック」の常連でいらした「お茶の水のおひろ」様なのです。

「金曜パック」の「お題拝借」コーナーは、とてもレベルが高く、

私レベルの投稿は、まったく相手にされませんでした

(欽也さんや、コータローさんのパックへの投稿は、小手調べのつもりでいました

→なんて生意気な!ごめんなさい)。

この「お題拝借」コーナーには、本当に毎回面白い投稿があったのですが、

この「お茶の水のおひろ」さんの投稿は群を抜いていました

(さすが芥川賞を狙うだけのことはある。あ、でも芥川賞って純文。

直木賞じゃないっすか?)。

 

私が彼女について知っているのは、

お茶の水にある某大学の学生(確かC大学だと思った記憶があります)。

サントリーオールドが好き。

③その割に酒が強いわけでもない。

位でしょうか。

 

いま、私の家には「もう一つの別の広場」という単行本があります。

ナッチャコパックに寄せられた手紙と、野沢那智さん、白石冬美さんの寄稿文

等からなるこの本には当時のいろいろな人の思い入れがたっぷり詰まっています。

面白い投稿だけでなく、涙を誘う投稿も数知れず。

自分自身エンディングテーマ「シバの女王」を聴きながら涙したことも

何度もありました。

 

あの投稿者たちは皆、今どうしているんだろう。

お茶の水のおひろさんはどこにいるんだろう。

ナイロンたわしさんは、ヨーコさんと結婚できたのだろうか。

間違って婦警さんに痴漢行為を働き「あなたってゴールドフィンガーね」と

言われた青年は、まともな道に戻れたのだろうか。

片思いの相手に突然大月に帰られてしまったあの青年は、

彼女を見つけ出すことができただろうか(あのころの大月は、とても遠かった)。

「僕は他の人と比べて口唇口蓋裂の子供ができる可能性が高いから、

子供がたくさんほしいと言っていた君とは結婚できない」と、彼にさよならを言われた幸子さんは、幸せになったんだろうか。

満員電車で痴漢に遭い、それを助けてくれ、ホームで話しかけてくれた人が

その痴漢本人なのかもしれない、という恐怖心を抱きつつ電車に乗らざるを得なかった

全盲の女性は...

みんな、あれから45年が経った今どうしているんだろう...

 

いろいろな人が深夜放送に気持ちをぶつけていた、昭和中期の青春群像が

たしかにそこにはあったなあ、と(柄にもなく)思うわけです。

 

そのナッチャコパック傑作選が、何とCD3枚組になって

販売されていると‼

 

ああ、聴きたい、と思う気持ちと、

いや、残り少ない人生、美しかった思い出だけ、記憶にとどめようよ、

聴いてがっかりしたらどうする?という気持ち、

そのどちらに従うか、このところずっと考え中なのです。 

 

ある程度の長さを生きてくると、記憶が美しくなりすぎることって、あります。

だったら、美しい記憶はそのまま、今更掘り返してがっかりするより

自分の人生とともに終わらせるほうがいいのかもしれません。

 

私が敬愛するさるぼぼさんも、こういう切なくも悲しい

経験をされています。

 

https://fish-on-ice.hatenablog.jp/entry/delivery_1

  

ナッチャンもチャコちゃんももう今はこの世にいません。
きっと天国でもパックやってるんだろうなあ。

 

期待していて下さい。そっちでは、かならず読まれるような

投稿しますから!

 

ブログランキング・にほんブログ村へ